夢から覚めた寅さん。
別所線の舞田駅。
別所線は上田駅と別所温泉駅を結んでいる。
寅さんのバックに見える道路は自転車置き場の屋根で見えなくなっていた。
こちらは再訪時の写真。
長野県上田市舞田
2015年11月訪問
「おばあちゃんの荷物だったのか。ごめんごめん」
寅さんは行商のおばさんの荷物に寄りかかって寝ていた。
別所温泉駅方向を映している。
別所温泉といえば、寅さんは9年前(第18作)に旅をしている。
坂東鶴八郎一座にご馳走して無銭飲食で警察署に厄介になっていた。あの時、仲良くなった警察官にも会いにいったのだろうか。
行商のおばさんがいうとおり、列車がやって来る。
別所温泉方向から上田駅行きの列車。
実は9年前、寅さんは舞田駅近くの塩野入神社でバイをしている。
今回もバイで来たのかもしれない。
夢から覚めた寅さんが背伸びをする。
ホームには行商のおばさんたちの姿。
当然のことながら待合室は変わっている。
こちらは初訪問時の写真。
長野県上田市舞田
2010年11月訪問
舞田駅の駅名板と電車を待つ寅さんたち。
駅名板も新しくなっている。
舞田駅のロングショット。
列車がホームに入ってくる。
お地蔵様。
千曲川のほとりにある清心地蔵菩薩。
ロケ当時と同じように頭に頭巾をかぶり、みかんが供えられていた。
地元で大切にされているお地蔵様だということが分かる。
上田市上塩尻962付近
2015年11月訪問
お地蔵様を見る寅さん。
車寅次郎 渥美清
さくら 倍賞千恵子
舞田駅から寅さんは上田にやって来た。
寅さんとさくらのテロップがお地蔵様にかかっていて非常に印象的。
周辺の風景が出てくるわけでもない、このお地蔵様がロケ地に選ばれたのは何か理由があるのではないだろうか。
※ご存知の方、ぜひ情報をお願いします。
宿場町の名残りが残る街道。
北国街道の海野宿。
左側にあるのは玉屋、鍵屋。
こちらは再訪時の写真。
※アングルが違いますが、ちびとらが座って映っているのでこちらの写真を掲載します。
長野県東御市本海野816−1
2016年3月訪問
宿場町を歩く寅さん。
寅さんが歩いていたのは、海野宿歴史民俗資料館、荒所のあたり。
こちらは初訪問時の写真。
長野県東御市本海野1098
2010年11月訪問
卯建(卯立)の建物。
寅さんが歩いているカットのバックにも映っている建物。
海野宿には卯建の建物が保存されており、本編に映るのは袖うだつ。
長野県東御市本海野1097
2016年3月訪問
雲水がつばめの巣がある民家を訪ねている。
民家は壁は塗り替えられているが。そのままに残っている。
長野県東御市羽毛山200付近
2016年3月訪問
旅の雲水が民家から出てくる。
この後登場する神社のほど近く。
手前の古い蔵などもそのまま。
長野県東御市羽毛山200付近
2016年3月訪問
田んぼの脇の木の下でひと休みする寅さん。
諏訪神社の前あたり。
寅さんは、舞田駅から上田市、海野宿と東の方向へ旅をしている。
長野県東御市羽毛山690付近
2016年3月訪問
神社の脇で休んでいると、旅の雲水が通りかかり、挨拶をしていっしょに歩き始める寅さん。
諏訪神社の前。
神社の木々は切られ、子ども向けの公園として遊具が設置されていた。
雲水が歩いてきたのは先ほどの民家とは真逆の方角から。
旅の雲水といっしょに歩く寅さん。
諏訪神社のロングショット。
木々が成長し、本編のように鳥居が見えなかった。
こちらは初訪問時の写真。
長野県東御市羽毛山690
2010年11月訪問
こちらは再訪時の写真。
神社の脇は住宅建築がすすめられていた。
完成すると風景が変わることが予想される。
長野県東御市羽毛山690付近
2016年3月訪問
寅さんと旅の雲水が歩いていると向こうから着物を着て日傘をさした女性が歩いてくる。
ちびとらは着物の女性を真似している。
諏訪神社の脇の道。
実は寅さんたちが歩いている方向へ行くと雲水が訪ねた民家にたどり着く。
長野県東御市羽毛山690付近
2016年3月訪問
着物の女性の後ろ姿を見ている寅さんと雲水。
左側が諏訪神社。
右側に寅さんがひと休みしていた木がある。
その手前に大きなプレハブ小屋ができた。
雲水が着物の女性をずっと見ているのに気づいてからかう寅さん。
プレハブ小屋ができたことで景色が見えづらくなっている。
歩き出す寅さんと雲水。
プレハブ小屋のすぐ右側には、ロケ当時から残る大きな家がある。
「天に軌道のあるごとく…」
神社で祭が行われている。
寅さんのバイの声が聞こえてくる。
有川港近くにある祖母君神社。
現在は中筋公園となっており、鳥居は撤去されている。
長崎県南松浦郡新上五島町有川郷651
2016年8月訪問
「…運勢というものを持っております」
易断本のバイをする寅さん。
左側のパチンコ店は建物の形はロケ当時の雰囲気を残している。
正面の路地の右側に赤い屋根の家があるが、ロケ当時は青い屋根だった。
この後の海の風景で上五島というテロップが入るので、このバイのシーンは上五島ではないことになっている。しかし既に寅さんは上五島に来ているのだ。
寅さんとポンシュウが座っている防波堤。
太田港。
山下商店は閉まっていた。
防波堤もロケ当時とは変わって寅さんが座っていたあたりは切れていた。
※高羽アングルに比べ両側が切れているのでご了承ください。
長崎県南松浦郡新上五島町太田郷1670-15付近
2009年8月訪問
寅さんとポンシュウが江上ハマが歩いている姿を見ているとハマが転ぶ。
長崎県南松浦郡新上五島町太田郷1670-15付近
2009年8月訪問
若菜がハマの葬儀に駆けつける。
青砂ヶ浦教会を訪れた際には外壁工事をしていた。
長崎県南松浦郡新上五島町志摩郷1241
2009年8月訪問
墓を掘って昼食をとる寅さんとポンシュウ。
このシーンのロケ地は丸尾教会と思われてきたが違う。
この土地の所有者の方から、ロケがご自身の土地で行われたという証言を得た。墓は現在なくなっている。
中に入らせていただく許可をもらい、撮影させていただいた。
広めのアングルで撮影しているが、ちびとらの少し右側正面の小山、その奥に湾があり、左側の堤防が一致している。
若菜のアパートの大家さんが買い物をしている八百屋さん。
現在は別の店舗になっている。
こちらは寅友である彰さんの発見により訪れることができた。
東京都文京区白山1-32-8付近
2010年10月訪問
大家さんが買い物からアパートに帰る。
若菜や民夫が住むアパートはこの階段の上を曲がったところ。回りの雰囲気もそのままだ。
寅さん、大家さん、教授、たくさんの人たちがこの階段を上り下りした。
このロケ地も前出の八百屋さん同様、寅友である彰さんの発見により訪問することができた。
東京都文京区白山2-5付近
2010年10月訪問
若菜と同じ印刷会社の面接を受けたと思われる女性が会社に向かう。
そして面接を終えた若菜が帰っていく道。
白鳥橋交差点そば。
右手奥には凸版印刷の大きな文字。現在は建て替えられている。
東京都文京区水道1-3付近
2010年10月訪問
採用試験の案内が貼られた印刷会社の入口。女性が入っていく。
上の白鳥橋交差点そばを歩いていた女性が建物に入っていく。白鳥橋交差点から歩いた方向にこの会社はある。既に若菜は中にいて面接を受けている。
東京都文京区水道1-2-1
2010年10月訪問
民夫が寅さんに会いに歩いてくる坂道。
民夫と寅さんが会う伝通院に向かう坂で左側は善光寺。この坂は善光寺坂という。
本編と同じように右側に木をなめて撮影しようとすると植え込みで坂が隠れてしまうためこのアングルで撮影した。
東京都文京区小石川3-17-8付近
2010年10月訪問
寅さんと民夫が待ち合わせをした墓。
「お前、若菜ちゃんに惚れてるんだろ?」
やはり寅さんは意味のある場所で待っていた。
大変由緒ある墓である。徳川家康の生母・於大の方の墓だ。
東京都文京区小石川3-14-6
2010年10月訪問
デートの帰り道、雨の中を相合傘で歩く若菜と民夫。
前出の若菜のアパートは寅友の発見により訪問できた。しかし現地で何とか新発見をしたいと思い、周辺を調査しついに発見することができた。
階段上にあるアーチも恐らく2人がくぐったものだろう。
実はこの階段を上ってもアパートには行くことができない。階段の上は民家でそこからアパートへの道はつながっていないためだ。
東京都文京区白山2付近
2010年10月訪問
寅さん、牛山教授が酔っぱらって電車から降り立つ駅。
ロケ当時は陸中花輪駅。ロケから10年後の1995年に改名された。
秋田県鹿角市花輪下中島
2010年9月訪問
タクシーに行先を告げた若菜が「早く早く」と寅さん、牛山教授のところへ走ってくる。
秋田県鹿角市花輪下中島
2010年9月訪問
寅さん、若菜、牛山教授を乗せたタクシーが民夫の実家に向かう。
鹿角花輪駅から真っ直ぐ続く道。正面突き当りが駅。
周辺の店舗はかなり変わっている。
秋田県鹿角市花輪中花輪29付近
2010年9月訪問
寅さん、若菜、牛山教授が民夫を探してやって来るスキー場。
訪問したのが夏で周辺は草が背丈より生い茂っていた。思うようにロケ地を探すことができなかった。参考写真として掲載。
秋田県鹿角市尾去沢尾去山
2010年9月訪問
寅さんが再び訪れるラストシーン。
ポンシュウが泥棒をして働いていたのだった。
長崎県南松浦郡新上五島町志摩郷1241
2009年8月訪問
寅さんとポンシュウが話をする。
工事のためにちょっと残念な写真になってしまった。
長崎県南松浦郡新上五島町志摩郷1241
2009年8月訪問