夢から覚める寅さん。
荷馬車に揺られているが、カバンを落としてしまう。
我孫子さくらんぼ園脇の農道。
荷馬車が進んだ道の雰囲気、向こうの山の形も一致する。
山形県寒河江市中郷
2019年4月訪問
湯殿まで見える石碑。
祭りの音。
上ノ山観音(湯ノ上観音)の境内にある湯殿山の石碑。
上ノ山観音は最上三十三観音・第十番札所。
山形県上山市十日町9−9−29
2014年8月訪問
上ノ山観音の前の通り。立ち並ぶ商店。
温泉客も歩いている。
突き当りの上ノ山観音の手前右側には下大湯公衆浴場がある。
左側角の建物はロケ当時は丸善という商店。当時の建物がそのまま残っているようだ。
山形県上山市十日町10−1
2014年8月訪問
お地蔵様に参拝する人。
再び上ノ山観音。境内にあるお地蔵様。
このお地蔵様は、羽前上ノ山四十八地蔵菩薩第二番十日町となっている。
お地蔵様の土台に本編でも映る文政8年の文字が確認できる。
カバンのバイをする寅さん。
右側の赤い屋根がお地蔵様。
階段を上がって境内に入ってすぐのところで寅さんはバイをしていた。
山形県の寒河江市で夢から覚めた寅さんは柴又へ帰って、最上順子と会い、再び山形へ旅している。
女子学生が寅さんのバイの口上を聞いている。
上ノ山観音の本殿、そしてお地蔵様の方を映している。
「私は山形県人が大好き」
バイをする寅さん。
境内にもう1つある湯殿山の石碑の脇で寅さんはバイをしていた。
最上川の俯瞰。
かつて最上川を渡る渡し舟があったことを現地での調査で確認した。
最上川のカーブ、山の形などから、ほぼこのあたりだと思われる。
木々が生い茂っているので抜けての撮影ができなかった。
2019年4月訪問
山形県朝日町中沢
カメラがパンすると渡し舟が最上川を渡っている。
本編を良く見ると分かるが、両岸をロープでつないであり、舟頭さんはロープを持って舟を進めている。
渡し舟乗場の看板。
初訪問時、川岸まで下りることにトライして撮ったのがギリギリこの写真。
上の再訪時の俯瞰の写真の川岸まで行ったあたりになるが、木々が生い茂り川岸まで近づけなかった。
このあたりに船着き場があったのだろう。
2014年8月訪問
山形県朝日町中沢
渡し舟に乗っている寅さん。
寅さんの舟の進行方向に見える小屋がほぼ同じ場所にあった。(小屋は建て替わった?)
渡し舟は現在、運航されていないので高羽アングルでの撮影はできない。
せめて対岸から最上川越しに望遠で小屋を撮影したかったのだが、対岸は木々が生い茂り、小屋が見えるポイントまで行くことが困難。
小屋側の岸で撮影した。
【参考】寅さんが渡し舟を降りて歩いた道
最上川で渡し舟に乗った寅さん。
降りたら、小屋の脇の道をちびとらが歩いているように旅したことだろう。
本編には登場しないシーンだが、ロケ地を旅しているとシーン間のストーリーや映像が浮かんでくる。それも楽しみの一つ。
お雪さんの墓参りへ向かう寅さんは、お雪さんを想いながら、この道を歩いたことだろう。
蔵の前を歩く寅さん。
本編で蔵の左側に映っているのが慈恩寺の山門(住職と別れた寅さんが歩く際に映る)。
蔵だった場所は石垣で整備された。
寅さんは渡し舟で最上川を渡った後、北上してお雪さんが暮らしていた寒河江へやって来た。
山形県寒河江市慈恩寺
2019年4月訪問
坂道を上がっていく寅さん。
慈恩寺の山門から寅さんが歩いて行った道順なりの場所。
慈恩寺の薬師堂、阿弥陀堂への入口付近。
山形県寒河江市慈恩寺
2014年8月訪問
お雪さんの墓参りをする寅さん。
住職に声をかけられ、お経をあげてもらう。
慈恩寺の裏の山に上がっていったところにある八千代公園。
寒河江川の見え方が一致する。
かつてはここに墓があったのか、それともロケ用に作ったのか。ただ、道路からこの公園に向かう途中手前に墓地があった。
山形県寒河江市慈恩寺
2019年4月訪問
八千代公園は展望台のような感じになっており、整備されているのでロケ当時とは異なる。
本編の雰囲気に近づけるため木を左側にして撮影してみた。
住職からお雪さんの生前の話を聞きながら歩く寅さん。
お墓から寅さんと住職は下ってきた。
山形県寒河江市慈恩寺
2014年8月訪問
「お雪さんはその後もその男のことをずっと思って暮らしたんでしょうかね」
住職が「よく寺に来て話してました。私に少しでも学問があれば男の不実を見抜けたものを学問がないばかりに一生の悔いを残してしまった。可哀そうな人でした」と話す。
寅さんのバックに映っていた建物は現在、慈恩寺駐車場のトイレになっている
こちらは再訪時の写真。
山形県寒河江市慈恩寺
2019年4月訪問
住職が寅さんに「ご苦労さまでした。道中ご無事で」という。
華蔵院、延命子安地蔵堂の階段の上が高羽アングルのピンポイント。
住職は華蔵院の住職なのだろうか…。
山形県寒河江市慈恩寺34
2014年8月訪問
「和尚さん。私にはお雪さんの気持ちが良く分かります。私も学問無いから今までつらいことや悲しい思いをどれだけしたか分かりません」
住職に話す寅さん。
「本当に私のような馬鹿な男はどうしようもないですよ」
本編で寅さんのバックに映っていた茅葺屋根の家は現在建て替わっている。
こちらは再訪時の写真。
2019年4月訪問
山形県寒河江市慈恩寺34
「いや違う。己の愚かしさに気が付いた人間は愚かとは言いません」
「己を知る。これが何よりも大事なことです」
「子曰く、朝に道を聞けば夕べに死すとも可なり」
住職から孔子の論語を聞く寅さん。
2014年8月訪問
山形県寒河江市慈恩寺34
【参考】寅さんの腰掛け石
住職から大変ありがたいお話を寅さんが聞いたこのロケ地には、寅さんの腰掛け石がある。
渥美清さんが座って景色を眺めていた石だという。
住職からの言葉が身に染みたのか。
とぼとぼと歩く寅さん。
慈恩寺の山門の中側から通りを歩く寅さんを撮影している。
山形県寒河江市慈恩寺
2014年8月訪問
お坊さんが鐘を突く。
慈恩寺の鐘楼。
山門から寅さんが歩いた方向に進むとある。
山形県寒河江市慈恩寺
2014年8月訪問
夕暮れ時、下校する学生たちの間を歩いていく寅さん。
寅さんが歩いていたのは寒河江川のほとりの白岩のあたり。
山形県寒河江市白岩2付近
2014年8月訪問
礼子が大学へ向かって歩いている。
東京大学前。本郷通り沿い。
考古学研究室があるのは、安田講堂のある正門が近いので礼子はここを歩いている。
寅友の皆さんとも検証したが、本編に映る大きなマンション建物からして、大体このあたりだろう。
2022年2月訪問
東京都文京区本郷7ー3付近
礼子が大学の門を入っていく。
ここが大きなトリック。
上の写真の壁は東大赤門と同じレンガ色。本編でも色はくすんでいるがレンガっぽい。
そして、礼子が入っていく門はレンガ色ではないのだ。
なんと弥生キャンパスの農学部へ礼子は入っていく。農学部正門・農正門なのだ。
2022年2月訪問
東京都文京区弥生1-1
「おい、もうちょっとゆっくり歩けよ」
田所教授と旅をする寅さん。
寅友である小手寅さんに探索を手伝ってもらい新発見することができた。
寅さんが下りてきた斜めの坂道は用心崎そばの西伊豆を走る県道17号線へ出てくる道。
寅さんたちは西浦久料港方向に向かっていた。後方に見える岬は用心崎。
静岡県沼津市西浦久料
2012年12月訪問
「またお説教か、そこが大学教授の悪い癖なんだよ。だから女に振られるんだぞ」
田所教授が眺めていたのは沼津方向。
このあたりの海岸は激変している。
上の写真で分かるが防波堤もできている。
静岡県沼津市西浦久料
2012年12月訪問
田所教授が恋した女性を聞き出す寅さん。
本編で右側に映る青い小屋は真珠の養殖小屋だったことが現地での聞き込みで分かった。
最初に寅さんが下りてきた坂道の横にホットドッグの看板のある小屋がある。
その位置関係からすると寅さんが田所教授に「おい、もうちょっとゆっくり歩けよ」と声をかけた時に寅さんが見ている方向は南東方向なので、このシーンは若干だが来た道を戻ってロケをしたようだ。
このシーンは左側の富士山を見えないように撮影したことが分かる。
ラストシーンで富士山を見せたかったためだろう。
※この写真は少し位置をずらして撮影しています。
防波堤が移ったら台無しであること、そして、あまりにも富士山が美しかったのです。
田所教授が手を挙げて船に乗り込む。
寅さんと田所教授が船に乗った港は西浦足保。
現在は寅さんたちが乗った船は運航されていないようだ。
左側にチラッと映る2階建てのコンクリの建物は外壁の色が変わったがそのまま残っている。
実はこのロケ地は、第24作でも登場。
その時は、ちびとらの後ろの橋を初詣に行く人たちが渡っていて、道の奥に見える鳥居、この神社で寅さんがバイをしていたのだ。
あまりに近いというか、全く同じロケ地が2度使われるというのも面白い。
静岡県沼津市西浦足保
2012年11月訪問
ラストシーン。
寅さんたちを乗せた船が出港する。
西浦足保の港は大きく変わっている。
ラストシーンのこのカットはこの方角で撮影されたが、港も拡張されているので船を見送る親子が立っていたのは実際にはこの角ではない。
もう少し手前のようだ。
静岡県沼津市西浦足保
2012年11月訪問