雨が降る漁港と船。
神奈川県三浦市の海外港。
岬の手前に立っているのが石黒造船。
ロケ当時からある会社。本編では船でボカシている。
神奈川県三浦市海外町
2012年11月訪問
磯野漁協会館。興行の旗が立つ芝居小屋。
海外港の前に立つ倉庫。
訪問したのは2012年11月。ストリートビューを見ると、2015年秋時点で残念ながら取り壊され空き地となっている。
寅さんとシリーズの要所要所で登場する坂東鶴八郎一座との出会い、第37作へと「一応」続く大空小百合との出会いの場となった大切なロケ地だ。
この小屋が現在は空き地になってしまったのは大変残念だが、訪問時はロケから約40年経っても当時のまま残っていたのだ。
本当にギリギリのタイミングでこの小屋の写真を記録することができた。
本編のラストで明かされるが、大空小百合はこの場所を四国だと言っている。しかしながら大船撮影所からほど近い三浦半島、今では観光地として有名な三崎港のそばでのロケだった。
主演 坂東鶴八郎の文字が入った看板。
スピーカーから歌が流れている。
流れている曲
「誰か故郷を想わざる」(霧島昇)
寅さんが本編中にも歌う曲である。
雨の中、洗濯物が干してある。
「こんなこたぁいつまでも続くもんじゃねえよ。今夜中にこの雨もカラッと上がって明日はきっと気持ちのいい日本晴れだ」
芝居小屋の中で、座長の坂東鶴八郎とお互いの稼業の苦労について語る寅さん。
ラストシーンへと続く序曲。
雨はロケ班がホースで降らせていた。DVDに付録で付いていたメイキング版で見たことがある。
雨の中、大空小百合と傘をさして歩く寅さん。
2人は芝居小屋があった海外港から西海岸線を南に歩いてきた。西海岸線はロケ当時、既に舗装されていた。このカットの最後に少し映る。2人が歩いていたのは道路の向こう側の未舗装の敷地だろう。ここに本編にも映るマグロ箱が積んであったことが現地での証言で得られ、このロケ地が判明した。道路の向こう側はロケ当時、海だったが現在は埋め立てられた。
神奈川県三浦市白石町
2012年12月訪問
大空小百合と路地に入ってくる寅さん。
こちらは小屋のあった海外港の一つ南側にある二町谷港の前。
芝居小屋を出た2人は海岸線の道を歩いた後、芝居小屋の方向に戻ってしまっている。
路地入り口の左側にあるブロック塀がロケ当時とほぼ同じ。
神奈川県三浦市白石町16-6付近
2012年12月訪問
大空小百合に宿まで送ってもらう寅さん。
宿に到着し、小百合が芝居小屋に戻ろうとするところを寅さんが呼び止めて話しかける。
宿の中からのカットで向かい側の家が映る。
宿は現在、民家になっているので、家の前から撮影した。
こちらは10年ぶりの再訪時の写真。
神奈川県三浦市三崎5-17付近
2022年9月訪問
「こう覚えてくんな。東京は葛飾柴又の生まれ。車寅次郎。人呼んでフーテンの寅というしがねえ旅がらすだってよ」
「はい。フーテン寅先生ですね」
松崎旅館の前で大空小百合と話す寅さん。
現在お住いの方からお話も伺った。
神奈川県三浦市三崎5-17付近
2012年12月訪問
大空小百合が芝居小屋へ帰っていく。
松崎旅館となった家から相模湾、西海岸線方向を映す。
「高梁、高梁、備中高梁であります」という駅のアナウンス。
岡山県伯備線の備中高梁駅。
ロケ当時は改札口に駅員が配置されていたが、現在は自動改札化されている。
岡山県高梁市旭町1317-2
2013年5月訪問
さくらと博が駅から出てきてタクシーに乗る。
駅名はロケ当時から変わってゴシック調の文字になっている。
ロケ当時は筆文字調だった。
16時の新幹線(柴又からだと東京駅発)に乗ったさくらと博。当時の新幹線の運行状況から考えると、恐らく21時を過ぎて備中高梁駅に到着したのではないだろうか。
約5時間以上の長旅であった。
こちらは6年後の2度目の訪問時の写真。
駅舎が大きく建て替わっていた。
またロケ当時の駅舎、駅入口は現在の場所から移動している。
写真の真ん中あたり、黒いタクシーが停まっている少し先のあたりだった。
2019年5月訪問
さくらと博が乗るタクシーの車窓。
本町通りと城下通りが交差するT字路。
本編に映る書店は、左側の山本金星堂書店。
タクシーは備中高梁駅を出て、高梁川に沿って走ってきたようだ。
高梁のロケ地は、1回目は龍野在住の寅友・小手寅さんにご案内いただいた。
岡山県高梁市本町101
2013年5月訪問
タクシーが左折した後の車窓。
上の写真の角を山本金星堂書店に沿って左折すると城下通り。
本編に映るアーケードは現在、撤去されている。
このアーケードには佐々木食料品店と書かれていたが、実はこのあたりは第32作でも再登場する。その際は奥にある伯備線の線路側・方向から映している。
タクシーが停まり、さくらと博が降りる。
タクシーは備北タクシー。
石火矢町武家屋敷通り。
この前のシーンの流れだとタクシーは逆方向から来ても良いのだが…。
備中松山の城下町。
このあたりには白壁の長屋門、土壁が続く。
岡山県高梁市石火矢町
2013年5月訪問
さくらと博が諏訪家に入っていく。
大急ぎで東京・葛飾柴又から駆け付けたが、この後、家の中のシーンでは線香のアップ(博の母親のご遺体が奥にある)から始まる。
博は覚悟していたのだが…。
ところで家では、博の父親・颷一郎が書斎で原稿を書いている。この後ろ姿のシーンが印象深い。孤独を伝えるシーン、背中で伝わるシーン
だった。
葬儀が行われている諏訪家の前。
武家屋敷通りの向こう側にあるのが山城、雲海で知られる備中松山城のある臥牛山。
家の中ではお経が読まれている。
諏訪家の前に現れる寅さん。
伯備線の線路が見え、線路の向こう側に立つ蔵は現在もある。
こちらは2度目の訪問時(ちびとら単独で訪問)の写真。
6年の月日で白壁もだいぶ色がついた。
岡山県高梁市石火矢町
2019年5月訪問
墓地にいる諏訪家の人々。
一番後ろに立っている寅さん。
巨福寺の境内。
ただご案内いただいた小手寅さんによれば、隣の寿覚院との敷地の境界が分かりづらく、不明な部分も大きいことも分かった。
岡山県高梁市寺町2202
2019年5月訪問
颷一郎とお坊さん。
横に映るお墓、つまり諏訪家の隣のお墓の文字がかろうじて読める。
実際に現地で確認したところ、写真では草木で隠れているがこの位置だった。
そこから、この前のヒキのカットの高羽アングルのピンポイントを特定することができる。
2019年5月訪問
墓前で諏訪家揃って写真を撮ることになる。
あなたもどうぞ、と言われ写真に入ろうとする寅さん。
さくらが「お兄ちゃんがシャッター押してあげなさいよ」と言う。
「あ、そうか。ここじゃ俺が一番遠縁なんだな」
2013年5月訪問
「兄さん、私が撮りましょう」
「はい、写しますよ~」
撮り方を教えてもらいカメラを構える寅さん。
本編でも巨福寺の本堂が少しだけ見えている。
左側に縦に並ぶ3つのお墓が一つ上の写真のお墓。横から撮影している。
2013年5月訪問
「はい、笑って~」
さくらが駆け寄って、「笑ってっていうことないでしょ。お墓の前で」と怒る。
「どうもすいません。ついうっかりしまして。
もういっぺんやります。
はい、泣いて~」
寿覚院にかなり近い。
寅さんのバックに映るお墓のいくつかが確認できた。
2019年5月訪問
タクシーがお墓から諏訪家へと帰る。
ズームバックして石火矢町武家屋敷通り一帯、伯備線の線路、そして高梁の街の俯瞰。
このカットは残念ながら撮影が困難。
恐らく撮影したと思われる建物が無くなっている。
タクシーが角を曲がる松の木がある家と武家屋敷通りを中心に地上から撮影した。
岡山県高梁市頼久寺町
2019年5月訪問
「先生、酒買ってくれよ。酒」
「昨夜の甘口なんだよな。辛口の方が。地酒かなんか美味いのは。えいや面倒くせえ。俺散歩がてら付いていかあ」
諏訪家の入口から顔を出して颷一郎にさけぶ寅さん。
ちびとらが諏訪家の入口に立ってみた。
岡山県高梁市石火矢町
2019年5月訪問
「先生!あたしも行くよ」
手を挙げて颷一郎を追いかける寅さん。
SLが武家屋敷通りの脇を走る。
ちょうど伯備線の電車が通りかかったので撮影した。
諏訪家の人々がお墓からタクシーで家に帰る時のカット、俯瞰のカットを撮影したと思われる建物がこの時本編に映る。寅さんと颷一郎が歩いて行った方向の先に立つ高い建物だと思う。
2019年5月訪問
白神食品店から一升瓶を持って出てくる寅さん。颷一郎に財布を返す。
紺屋町美観地区の白神食料品店。颷一郎が立っていたのはその前にある相生橋。
本編に映る高梁魚市場は無くなっていた。
ピンとくる方もいるかもしれない。右側の角の家は第32作に登場する寅さんが法事をするハンコ屋さんだった。
岡山県高梁市鍛治町15付近
2019年5月訪問
颷一郎と歩き、あくびをする寅さん。
本町通りにある高梁市商家資料館池上邸。
さくらと博が高梁に到着してタクシーで移動するが、その時に映る車窓のすぐそば。
醤油の看板も含めて今もそのまま。
岡山県高梁市本町94
2013年5月訪問
颷一郎と橋を渡る寅さん。
伊賀谷川にかかる高砂橋。白神食料品店の少しだけ上流にある。この付近は第32作でもロケが行われた。
2人が歩いた方向へ行けば諏訪家に到着する。白神食料品店から前のカット・醤油の看板のあたりを歩いていたのは寅さんが食べたかった肉を調達したと思われる。
岡山県高梁市頼久寺町13-11付近
2013年5月訪問
朝もやの中の諏訪家。
前夜の諏訪家ではOPで芝居小屋から流れた「誰か故郷を想わざる」を食卓で歌う寅さんが颷一郎から話を聞く。
信州・安曇野の旅先でリンドウの花が咲いていた家、家族の話、「人間は絶対に一人じゃ生きていけない」。寅さんは置き手紙を残し故郷・柴又へ帰っていく。
諏訪家の前には建物が建った。
2013年5月訪問
朝の高校生の登校風景。
県立高梁高校の校門に向かう道。右側の学校の壁も城下町の雰囲気を感じさせる造り。
正面左側には備中松山城御根小屋がある。
岡山県高梁市内山下53-1付近
2013年5月訪問
駅前の雑踏。
「・・・大和の国。島の始まりが淡路島」
寅さんのバイの声が聞こえてくる。
京成金町線の終点・金町駅前。柴又から京成線で東京の都心や上野方面とは逆方向、1駅で金町駅に着く。
柴又からすぐの金町には寅さんも良く現れる。
東京都葛飾区金町6-4
2021年11月訪問
寅さんがバイをしている。
「許可は?」とお巡りさんが見回りにくる。
「どうもご苦労さまでした。大変ですね」
撤収する寅さん。
金町駅からカメラはパンして金町駅前のロータリーを映し、現在の金町北口自転車駐車場の入口脇へ。
この付近、本当にロケ地が多い。
この画像にもロケ地が遠くにある。
違う場所に移動してバイをする寅さん。
「それあげるよ、お兄さん。持っていきなよ安いもんだからさ。パチンコばっかりやってないで本読みなよ、たまには!」
貴子のことを想い、寅さんが商売に焦る気持ちが伝わってくるバイ。
寅さんが移動してバイをしたのは金町駅前ロータリーにある東急ストア金町店の脇。
東京都葛飾区東金町1-36−1
2021年11月訪問
「許可証は?許可証!」
「すいません。今片づけますから…」
再び撤収を始める寅さん。
突き当り奥にこの前のバイの場所、金町駅が見えるように、寅さんはわずか5,60メートルだけ移動しただけだった。
寅さんの抱えた事情など知る由もないお巡りさん。当然、普通に仕事をこなしている。
農家でひと休みしていた寅さん。
農家の人に行き先を聞かれる。
「そうよな、これから寒くなるからよ、南の方にでも行くか。へへへ、気楽なもんよ」
初訪問時、農家の家は残っていた。この後、何度もこのロケ地を訪れたが2度目の訪問時、家はなくなっていた。
周辺を探索してついに発見することができた思い出に残るロケ地だ。
山梨県北杜市大泉町西井出8823付近
2010年11月訪問
石碑の上に柿を置く寅さん。
そこへ坂東鶴八郎一座の車が通りかかる。
駒ヶ岳などの山々が美しく望める場所。
ようやく発見したために訪れた時間は午後4時半近くだった。あたりが薄暗くなっていたのが残念だった。
ラストシーン。
寅さんを乗せた坂東鶴八郎一座の車が走っていく。遠くには富士山。
個人的に大変気に入っているシリーズ屈指のラストシーンである。
何度も行っているこのロケ地、こちらの画像は最新のもので2021年11月の訪問時のもの。
2021年11月訪問