札幌のテロップ表記。
札幌を象徴する公園である大通公園の俯瞰。
左側のビルは現在もそのままの北海道銀行の道銀ビルディング。
実際の高羽カメラは恐らく北海道新聞社ビルからの撮影か?
困難だったため地上から撮影した。
北海道札幌市中央区大通西4付近
2015年8月訪問
交番で道を尋ねる寅さんと登。
創成川・創成橋のたもとにあった札幌警察署南一条巡査派出所だが、現在はなくなっている。
この後の病院に入るシーンで出てくる建物が後ろに見える。
寅さんと登はきちんとお巡りさんに聞いた道を守って行っている。
北海道札幌市中央区南1条西1ー1
2015年8月訪問
窓から交番の中を覗く寅さん。
実際のロケ地には派出所はなくなっているが、
北海道開拓の村で保存されている。
せっかくなので訪問して撮影してみた。
ちびとらが見ているのがまさに寅さんが覗いていた窓。
ロケ地ではないが、興味のある方はぜひ。
【参考】北海道開拓の村 北海道開拓の村 (kaitaku.or.jp)
正吉親分を見舞う寅さんと登。
さっぽろテレビ塔が見える。
電柱に広告看板がある上村講漢堂は右側の白い建物に現在もある。お店の方にお話を聞いたところ、実際に当時、この2階が上村医院だったそうだ。
札幌市札幌市中央区南2条東1ー1-14
2015年8月訪問
登が小樽の民家で道を聞いている。
消火栓にもたれかかっている寅さん。
民家は建て替わっているが、石垣、左隣の建物の石垣が当時の雰囲気を残している。
消火栓も黄色くなったがほぼ同じ位置にある。
左側の建物は現在、ゲストハウスになっている。
北海道小樽市花園3-4-17
2015年8月訪問
「国鉄機関区だって。汽車の運ちゃんじゃないか」
「かあ~、釜焚きか~」
正吉親分の息子が釜焚きだと分かったこの場所は小樽市の冒頭の案内看板のところで話していたスミノエ町1丁目ではなく花園3丁目。
本編では後ろにある函館本線の線路をSLが通り過ぎる。
扇形庫のSL。
1987年まであった小樽築港機関区。
訪問当時は更地だったが、撮影方向は航空写真で確認すると、この方角で間違いない。
扇形庫は現在のはま寿司の裏あたりにあった。
北海道小樽市築港9付近
2015年8月訪問
正吉親分の息子・石田澄雄と面会する寅さんと登。
寅さんと登の後ろに映る安全第一と書かれた倉庫を目印に航空写真を確認したところ、この方向で撮影。
倉庫のあたりには現在、済生会小樽病院が建っている。
北海道小樽市築港10-1
2015年8月訪問
澄雄が乗ったSLが寅さんと登を置いて出発する。
方角的にはこの方向となるが、小樽築港機関区がなくなったことにより写真の築港海岸通などの新たな道路、モールなどもでき、周辺は激変している。
精密に線路の位置などを検証すると撮影ポイントはずれると思われる。
北海道小樽市築港11-6付近
2015年8月訪問
澄雄が乗るSLの前景車窓。
函館本線・余市町の右カーブ。
実際に電車に乗って撮影した。
澄雄が前方確認して「前良し」と発声する。
澄雄の横顔。
この時のSL車内が撮影されたのが函館本線の塩谷駅から蘭島駅間。その前の余市より小樽の方に戻ってしまっている。
澄雄の背景に映っているのが塩谷の海。
鉄道と並行する区間があるフルーツ街道の車両待避所で撮影した。
北海道小樽市塩谷2-37付近
2015年8月訪問
澄雄が乗るSLをタクシーで追う寅さんと登。
タクシーが出てきたトンネルが忍路トンネル。
この場所は線路と道路がかなり接近していて、トンネルもあるという言わば画になる場所。
驚くことに、現在、この忍路トンネルはなくなっている。山を削ったようだ。訪れた際に、気づかず通り過ぎてしまうかもしれない。
北海道小樽市忍路1-171付近
2015年8月訪問
「おい!青年~」
タクシーでSLを追う寅さん。
函館本線の余市駅から仁木駅間。
SLの前方からの車窓が撮影された場所からほど近い。
北海道余市町黒川町1090-1
2015年8月訪問
タクシーで駅に向かう寅さんと登。
この前のシーンから仁木駅、然別駅を過ぎて、その次の銀山駅。
駅入口から撮影。
道路は舗装されており、本編のように土煙があがることはない。
北海道余市郡仁木町銀山1
2015年8月訪問
銀山駅の改札口を入ってホームに入ってきた寅さんと登。間に合ったと笑顔の寅さん。
銀山駅は無人駅で駅舎もロケ当時と大きく変わってしまった。
銀山駅と縦書きで大きく書かれた文字など名残も全くない。ちびとらの後ろの扉が木でできた改札口だった。
北海道余市郡仁木町銀山1
2015年8月訪問
SLが停車せず通過してしまう呆然とする寅さんと登。
銀山駅のホーム、駅舎、左側の小屋など変わっているが、ホームと線路の間の壁面はロケ当時のままのようだ。
むこうに見える山の形もポイント。
北海道余市郡仁木町銀山1
2015年8月訪問
SLが停車している。
銀山駅を通過したSLは次の小沢駅で停車していた。
小沢駅は線路の数が減っている。
北海道岩内郡共和町小沢
2015年8月訪問
「おう!青年~」
線路を渡ってSLの所にいる澄雄の方へやって来る寅さん。
無人駅なので寅さんの真似をしてしまいそうだが、ちびとらは階段を昇り降りしてホームへ移動した。
「あんまり世話焼かせんなよ」
「ずーっとタクシーで追っかけてきたんだぞ」
疲れ果てている寅さん。
登がタクシーの運転手に600円の値引きを交渉している。
小沢駅の駅前。
タクシーの運転手さん、全く登の方を見ようともしていないし、頷きも首を振るのでもない。全く無視を決め込んで交渉に応じる気がなさそう。
澄雄が乗ったSLが小沢駅から去っていく。
無言で見つめる寅さんと登。
この日は天候が良かったせいか、羊蹄山が遠くに見えた。
線路脇に寅さんのような恰好をした人がいるが合成写真ではない。
この旅を数日間同行した寅友の彰さんだ。
夜の小沢駅前。
右側には末次旅館。
本編と同じように夜、再訪して撮影した。
この後、部屋では寅さんと登が献杯をする。
盃を交わしながら寅さんが登を諭し、末次旅館を飛び出した登が寅さんに向かって叫ぶ。
北海道岩内郡共和町小沢1725付近
2015年8月訪問
病院に電話する寅さん。
正吉親分が死んだことを知る。
寅さんは澄雄と別れてすぐ小沢駅前で電話している。
電話したのはこの後、寅さんと登が宿泊する末次旅館。
末次旅館は現在、取り壊されている。
登があきらめて小沢駅に入っていくのを末次旅館の2階から見つめる寅さん。
右奥にあるのは、現在のみつがしわ。
末次旅館がなくなっていたのを残念そうに見ているちびとら。
小沢駅周辺の1976年の航空写真を見てみる。
末次旅館の位置を確認できるので参考までに。
「つれえとこだぜ~」
「なんだ手前ら。見世物じゃねえんだぞ」
旅館のお客さんにあたる寅さん。
末次旅館の外観、そしてその奥に少しだけたけだ旅館が映る。
この頃の寅さんは堅気の人たちにも凄んでみせている。
油揚げが柴又に届いたことから、どうやら豆腐屋で働いていることが分かり、さくらが寅さんを訪ねる。
旧江戸川と浦安市の南側を流れる境川の河口がぶつかる境川西水門。
本編でも左側にわずかに映っているのが水門。
ちびとらがさくらが歩いたあたりに立った。
千葉県浦安市堀江4-28付近
2015年9月訪問
さくらがお店の人に道を尋ねる。
先ほどの境川を下った猫実(ねこざね)にある猫実庚申塔のあたりでロケが行われた。
さくらが道を尋ねた雑貨店らしきお店は取り壊されている。
千葉県浦安市猫実4-13−7
2015年9月訪問
さくらが豆腐店のある路地に入っていく。
こちらは現在、路地がなくなっている。(※民家の敷地内になるので、ご注意ください)
節子がこの路地を豆腐屋から歩いていくシーンで向かい側にある蕎麦屋が映る。ここから寅友の彰さん、寅福さんとロケ当時の住宅地図を確認し、この場所を特定した。
路地以外は全てセットでの撮影だった。
千葉県浦安市堀江2-5−15付近
2015年9月訪問
ちなみに豆腐屋は、民家を撮影用に看板やのぼりを立ててお店のように作ったそうだ。
上の写真でちびとらが立っているあたりにさくらが路地に入っていくときにも映る魚の問屋さんがロケ当時あった。実際には架空の名称の看板を撮影用に立てたそうだ。
このあたりのエピソードは現地で証言を得ている。
また路地の途中、豆腐屋の手前のトタンの小屋は訪問時、残っていた。(※右写真)
さくらが節子が働いている美容室(パーマふじ)の前で「お兄ちゃんのことをよろしくお願いします」と挨拶する。
美容室はなくなっていた。東学寺の隣に美容室はあった。カラーコーンがあるところ。
本編に映る向かい側の建物は銭湯・寿湯なのだが、取り壊されている。
千葉県浦安市堀江2-4−27
2015年9月訪問
こちらは2008年のグーグルストリートビュー。
美容室、向かい側の銭湯寿湯は健在。美容室の手前の塀が東学寺。
実は豆腐屋への路地の入口にあった魚の問屋の隣も銭湯。米の湯。かなり近くに2軒の銭湯があった。ロケ当時、地域でのニーズが高かったことが分かる。
さくらが「良い人たちね」と言うと、寅さんが照れ隠しする。豆腐屋の自転車を押す寅さん。
ちびとらが寅さんの真似をして自転車のハンドルを持った格好をしている。
曲がり角の右側の店舗は現在、トランクルーム。奥の電柱の左側が東学寺の壁、右側にパーマふじがあった。
豆腐屋からこのあたり一連、堀江フラワー通り会の通りでの撮影。
豆腐屋のラッパを吹く寅さん。
さくらに「お前も吹くか」と言う。
境川にかかる境橋。
さくらが浦安にやって来た際に出てきた境川西水門から東に川に沿ってロケが進んでいる。
橋の向こう側の白い建物は、ほぼ当時のまま残っている。
「寅さん、揚げおくれよ~」と家の2階から声がかかる。
「あ~とで後で。妹送ってきてからだよ!」
境橋を渡る寅さんとさくら。
すっかり街と下町の人たちのコミュニティに溶け込んでいる寅さん。ここで生涯暮らすつもりなのでいろいろと努力しているわけで…。
揚げを注文した人はパーマふじの向かい側の寿湯の方のようだ。寿湯はマンションに建て替わったが、マンション名に名残りが残っている。
「よ~、兄さん。ここんとこ来ねえじゃねか」
国鉄の機関士(後に判明する)に声をかける寅さん。
境橋の手前でのシーンで映っていたロケ当時とほとんど変わっていない建物がバックに大きく映る。
一方通行の標識も新しくはなったが、ほぼ同じ位置にある。
千葉県浦安市猫実3-2-10付近
2015年9月訪問
国鉄機関士が研修で1週間箱根に行って不在にしていたことを説明する。
「これ俺の妹だよ。な~んでい、そんな目つきしたって駄目だぞ。こりゃ亭主持ちだからな」
ご機嫌な寅さんがすっかり誤解して、この後起こる悲劇への伏線。
豆腐屋さんセットとなった家からこのあたりまでのフラワー通り会は近いのでブラブラ散歩しながら回ることができる。
さくらが「お兄ちゃん、私ここで」と寅さんと別れる橋。
左側にはプチと高村はきもの店。
境川にかかる新橋。
ここは先ほどまで寅さんとさくらが歩いていた所、コースからだいぶ離れている。さくらが道を尋ねていた猫実庚申塔に近い。
千葉県浦安市猫実4-21-5付近
2015年9月付近
「お前、元気ねえな」
「俺もお前の言う通りよ、地道に暮らしてやっていくからな」
さくらが「考えることも地道にね」と諭す。
豆腐屋の自転車でラッパを吹きながら走っていく寅さん。さくらは心配そうに見つめる。
新橋から宮前通り、橋の向こう右側にある清瀧神社(浦安三社)方向を映している。
本編で橋の向こう側の右側に映っていた建物はかつての浦安町役場。
宮前通りはロケ当時より道路が拡幅された。
新橋については、現地へ行くと少し分かりづらいので、1975年当時の航空写真を見てみる。
新橋の西側(橋の左側)から寅さんとさくらが歩いてきた。新橋を右側に見て、新橋の向こう左側にプチと高村はきもの店が見えていた。その奥に松の湯。
実は現在の宮前通りは新橋を渡る南北に走っているが当時は北側に道路はなく住宅が並んでいた。
道路の開通、拡幅とともに、プチや高村はきもの店は取り壊され、松の湯が道路に面した。
プチや高村はきもの店があったことをイメージすると現地で分かりやすいと思われる。
口笛を吹きながら自転車をこいでいる寅さん。
正福寺の入口(右側)。こちらは再びフラワー通りに戻っている。正福寺は実は豆腐屋、その路地の向かい側にある。従って左側の手前が豆腐屋の路地となる。左側の壁は銭湯・米の湯。
奥の突き当りの手前がパーマふじという位置関係なので近い所でロケが行われている。
千葉県浦安市堀江2-6-35
2015年9月訪問
縁日が行われている正福寺の境内を見る寅さん。
ロケ当時、境内参道の右側にあったトタンの小屋はなくなっている。
源ちゃんがバイをしている。
「何やってるんだお前」
御前様に叱られてクビになったという源ちゃんに説教をする寅さん。
正福寺の境内、本堂側からの撮影。
源ちゃんは寅さんが浦安で働いているという情報を頼りにやって来たわけだが、まさに豆腐屋の向かい側の寺に来ていたわけで勘が鋭い。
国鉄機関士が節子に大事な話があると言って2人で豆腐屋の路地を歩いて出ていく。
路地を豆腐屋側から映したシーンだが、向かい側に蕎麦屋が映る。既に上記でも書いたが、喜八という屋号の蕎麦屋だ。
左側に映っているのが正福寺。
千葉県浦安市堀江2-5−15付近
2015年9月訪問
「包丁一本、さらし巻いて~」
歌いながら自転車をこぐ寅さん。
節子に「ずっとうちの店にいてもらえないかしら」と言われ、ご機嫌で仕事もやる気に満ち溢れている寅さんのこのシーンのロケが行われたのは神奈川県藤沢市の一角。
なぜ浦安ではないのか?豆腐を浦安から藤沢まで自転車で配達していた、と思うしかない。
神奈川県藤沢市藤沢535
2018年11月訪問
寅さんが自転車で走る方角は藤沢駅方向。
このロケ地を発見された寅友の寅福さん、彰さんと3人で訪れた。
たまたま自転車で通り過ぎる方がいたのでそのタイミングで撮影した。
ストーリー上、必要となったこの1シーン(この後の公衆電話のシーンを入れると約20秒)のために浦安ロケを敢行できず、大船撮影所から近い場所で撮ったのだろう。
浦安の朝。川に停まっている多数の船。
境川。東側、現在の市役所方向を映す。
古くから遠浅の海を漁場とし、貝や海藻類の収穫、漁業の街で知られていた浦安だが、漁場の汚染が進み、漁業は衰退の一途を辿った。
望郷篇の翌年1971年には、漁業従事者は漁業権を全面放棄した。今作で浦安をロケ地に選んだのもそんな背景があったのかもしれない。
千葉県浦安市猫実2-21-3付近
2015年9月訪問
寅さんが節子に宛てた手紙のナレーション。
駅舎を出る寅さん。
函館本線の朝里駅。
小樽駅を出て小樽築港の次の駅。寅さんは小樽に戻ってきた。
澄雄にも再度会いに行ったのだろうか…。
北海道小樽市朝里1-5
2015年8月訪問
「いよ~」
「お控えなすって」
寅さんと登が再会する。
朝里海岸。
寅さんは朝里駅を左方向に出ていったがそこでのロケ。
このシーンのピンポイントが分かり再訪した。少しずらして撮影している。
北海道小樽市朝里1-5付近
2017年8月訪問
「早速お控えなすってありがとうござんす。私生まれも育ちも葛飾柴又です。姓は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します」
登の後ろにある架線のトラスビームがこちらであることを突き止めたのは寅友の寅福さん。
トラスビームの横に登が入った便所があったことになる。
詳しい解明は下記をご参照ください。
男はつらいよ 飛耳長目録 - 2017年5月の記事一覧 (teacup.com)
寅さんと登が海に石を投げる。
函館本線のSLが煙を上げて小樽方面に走る。
今作でお仕舞いにしようとしていたという山田監督の力強い作品を締めくくるラストシーン。
これは最初に訪問した際に撮影した1枚。
架線のトラスビームの位置が判明する前だったので、かなりヒキのサイズで撮影している。
上の写真で出てくるトラスビームの前の家も入り込んでいる。