2024年
3月
20日
水
第39作「寅次郎物語」のオープニング。
寅さんが旅していたのは茨城県常総市。今回は意外と東京・柴又から近い所でした。
駅前広場でボール遊びをする子どもたちがいてローカル線の雰囲気を残す常総鉄道の中妻駅。
この駅の待合室で目覚めた寅さんは、駅員さんから「電車来ますよ」と声をかけられます。
そして寅さんは線路を渡り、ホームには常総線が入ってきます。
ここでメインタイトルバックが入ります。
これは当然、中妻駅でのロケと思ってしまいます。
ちびとらも2009年5月に中妻駅を訪れ、撮影をしました。(※左写真)
ホームは相対式2面2線となっていたが、ホーム、駅の形状が変わったのだと思ってきました。
ところが!
このロケ、トリックだったのです!
今回、ちびとらのサイトをご覧いただいていた「JJさん」から大変貴重なメールをいただきました。
JJさんは、中妻駅を訪れる前に常総市フィルムコミッションのHPを見ていたそうですが、そこにはロケ地として中妻駅と並んで三妻駅が記載されていたそうです。
2001年(平成13年)まで | 常総市観光物産協会公式ホームページ (joso-kankou.com)
その後、実際に中妻駅を訪れ、違和感を感じられて、常総市に問い合わせをされたそうです。
常総市の職員の方からは、「中妻駅では近隣に住居や建物があり田舎の駅のイメージに合わない。田舎の駅の風景を撮りたかったので当時は駅の近くに住居が少なかった三妻駅で撮影することになった。」という回答を得られたそうです。
JJさんの観察力、行動力に驚かされるとともに、情報提供に心より感謝致します。
そして、この情報のおかげで、メールをいただいてから約2週間後、ちびとらも遂に寅さんが常総線に乗りこんだ三妻駅を訪れることができました!
今回、現場に行くことで物証も見つけることができました。
寅さんが線路を渡るその先、ホームの奥(ホームの待合室の奥)に見える建物が今も残っていました!(※左の写真ご参照)
やはり現場に行くことは大切ですね。
第39作のメインタイトルバックは中妻駅ではなく、三妻駅だったのです。
寅さんが乗りこんだ列車は下りの石下・下館方面行き。
ちびとらが三妻駅にいる時にちょうど下りの列車が入線してきました。列車は新しいタイプになっていました。
その後、上りの守谷・取手方面行きの列車も入線してきたので撮影しました。
こちらはロケ当時の車両と塗装が同じでした。
こんなことを考えてしまいました。
寅さんは、中妻駅で夢から覚めて、駅員さんから電車が来ることを知らせてもらったのですが、乗り遅れてしまったのでしょうか?
そして、次の電車が来るまでに隣の三妻駅まで歩いて、電車に乗ったのでしょうか?
さらに、その後、常総橋を渡っているので、下りの電車に乗ると逆方向です。
もしかすると板橋不動尊でのバイの準備のために下りの電車に乗ったのかもしれませんね。
15年を経て、本当のロケ地へ行くことができた楽しい訪問になりました。
JJさん、ありがとうございました。
2023年
4月
01日
土
「男はつらいよ」の記念すべき第1作。
寅さんの振る舞いで散々だったお見合いの翌朝、さくらが京成電車で丸の内に出勤します。
その京成電車が走る踏切は京成曳舟駅のあたり。今では京成線が高架になり、踏切はなくなっています。
ただ、50年以上経っても線路の形状は変わらないもので、左曲がりのカーブは当時の雰囲気を感じさせます。
2010年のGoogleストリートビューでは、踏切の様子を見ることができます。
松●堂模型店はなくなっていますが、その場所も確認できます。
上の2022年11月の画像では、京成線の高架の下にやきとりのお店「さくら」ができていました。
さくらもびっくりされることでしょう。
2023年
2月
14日
火
現在、BSテレビ東京で放送中の「釣りバカ日誌」シリーズ。
「釣りバカ日誌12」を観てましたら、見たことがある風景の連続で、山口県萩市がロケ地になっていました。
その中で宮沢りえさん演じる梢がおじの主治医役の吉岡秀隆さんと街なかでばったり出会うシーンがあります。
そこであれっ?と気づきました。
その場所は、「男はつらいよ 幸福の青い鳥」に登場する平安橋だったからです。オープニングで寅さんがバイをする場所です。
「釣りバカ日誌」で2人が会うのは、平安橋の脇にある坂倉しんみちというお店。シーンの中ではたくさんの野菜が並んでいました。
近いアングルが「男はつらいよ」にも登場します。
ぜひチェックしてみてくださいね。
2023年
2月
08日
水
福岡市在住のTさんより、情報がありました。
Tさんは九州を中心にロケ地を回られている方です。ありがとうございます。
その情報とは、呼子のストリップ小屋、アンパンを買ったお店だった家が取り壊され、更地になってしまったとのことです。
最下段に最新の写真を掲載させていただきます。
第14作「男はつらいよ 寅次郎子守唄」では、寅さんが佐賀県を旅します。
唐津でバイをして、呼子港を訪れています。
そして、呼子の町の小さなお店で買ったアンパンを船着き場で食べるシーンがあります。
その船着き場はストリップ小屋の裏手にあり、寅さんは踊り子にアンパンをご馳走して話をします。
ストリップ小屋だった建物を発見したのは2011年8月。
家主さんに許可をいただいて、その家の中を通って、アンパンを食べた船着き場に立つことができました。
寅さんと踊り子がアンパンを食べるシーンのヒキのカットは、画面が揺れているので、恐らく船の上からロケしたものと思われます。
2011年8月当時はこの後ろはすぐ海でしたので、このアングルで撮るのが精いっぱいでした。
2度目の訪問となった2017年4月。
運よく船が停泊していて所有されていた方から許可をいただき、高羽アングルでの撮影に成功しました。
船着き場一帯の建物は6年前の初訪問時とだいぶ変わっていました。
船着き場は消え、遊歩道になっています。
茶色い家が「守れ港内スロー」と書かれていた所で、その奥に上の写真に映っている階段がありました。
茶色い家はロケ当時はなく、裏手にアンパンを買ったお店がありました。
このロケ地のレポートについて詳しくは、ロケ地の旅のページをご覧ください。
そして今回、Tさんが呼子のロケ地を訪れ、撮影された写真がこちらです。
(掲載させていただくことは許可をいただいています)
対岸から撮られた写真になり、ラストシーンで寅さんが再び、この船着き場へ向かっているシーンと同じ方向になります。
アンパンを買ったお店、ストリップ小屋…。
遊歩道側の建物やブロック塀などが完全になくなってしまったのですね。
ただ、アンパンを買ったお店のおばさんが出てきた向かい側の家は残っています!
これからこのロケ地に行く方は、アンパンのお店の中が高羽カメラ位置で、寅さんが「ごめんよ!」とお店に向かって呼びかけるシーンの撮影がピンポイント位置でできることになりました。
少しずつ少しずつ、「男はつらいよ」に登場する街並みや風景は消えていっています。
今回の情報を寄せていただいたTさん、ありがとうございました。
2022年
12月
13日
火
第25作「男はつらいよ・寅次郎ハイビスカスの花」で寅さんが夢から覚めるのは、群馬県嬬恋村の鎌原神社です。
ちびとらは2012年の11月に訪れました。
寅さんが昼寝をしていたのは、神社の入口に建つ郷倉です。
郷倉は浅間山の噴火に見舞われたこの地域で穀物を貯蔵しておいた倉。
この穴から寅さんが顔を覗かせていましたね。
さて最近、ちびとらのサイトをご覧いただいた鰻重の松1人前さんが鎌原神社に行かれたそうです。
こちらがその時に撮影された画像です。
郷倉が工事中だったそうで、工事をされていた方にお話も伺われました。すると今年の6月に倉は取り壊して建て直しされていたことが分かりました。
ロケ当時の倉はなくなりましたが、工事が終われば、新しい倉が建ち、この地域の歴史とともに、寅さんが訪れた倉、神社としてこれからも受け継がれていきます。
鰻重の松1人前さん、貴重な情報ありがとうございました。
そろそろ、ちびとらも旅に出たくなりました。
せっかくの機会なので、第25作のロケ地へ行ってきたいと思っています。
訪問後、アップしたいと思います。
2022年
8月
27日
土
瀬戸内海の島・琴島で過ごした数日が終わり、満男は柴又へ帰り、寅さんは商売のため高松市、その後、四国遍路第85番札所の八栗寺へやって来ます。
寅さんは八栗寺の参道のよもぎ餅のお店で柴又のさくらに電話をかけます。
この時、寅さんが使った赤電話は山田組が設置したものでした。
さらに電話を終えた寅さんが歩き出す際に左側に映るよもぎ餅の看板も山田組が制作して設置したものでした。
ロケの様子の貴重な写真がよもぎ餅のお店・樫原福善商店さんに展示してあります。
ちびとらは、大変美味しいよもぎ餅を食べさせていただき、お土産も買いながら、いろいろなお話も聞かせていただきました。
ロケ地に訪れた際にはぜひ、お店にも立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
2022年
5月
11日
水
第30作で三郎青年が母・ふみを供養するのが大分県杵築市にある養徳寺です。
ちびとらが養徳寺を訪れたのは、九州を旅した2018年8月でとても暑い日でした。
ロケ地の旅 第30作のページで、おふみさんの墓の位置などの詳細を紹介していますのでご覧いただけましたら幸いです。
養徳寺への訪問では、三郎青年が車で養徳寺を後にするシーン(寺の最後のシーン)の高羽アングルのピンポイントを新発見することも目標にしていました。
養徳寺では、ちびとらの突然の訪問にもかかわらず、快くご案内していただいただき、ロケ当時の貴重なお話も聞くことができました。
さらに本編に関わる面白いエピソードもうかがいました。
本堂にご案内いただいたので、本編のキャプチャ画像をお見せすると、ロケのことを懐かしそうに思い出されていました。
三郎青年が車で寺を後にするシーンは、養徳寺でロケが行われたそうです。
ロケ地の旅のページにも掲載していますが、ほぼこのアングルが本編の高羽アングルとなります。
もう少しカメラ位置は後ろに下がった所になるかと思いますが、現在は撮影が難しくなっています。
ちびとらの立っている目の前に通路があり、三郎青年の白い車が停まっていました。
木々が成長して見えづらくなっていますが、右側に屋根があり、それが本編に映る養徳寺の本堂です。
本編には手前で農作業をする人が映っています。
このことを聞くと貴重なエピソードが!
この畑は大根畑で、映っているのは寺に住みこみされていた方だったそうです!
「源ちゃんみたいな方だったんですね!」とお話ししました。
そして、三郎青年の車の奥に映っている鐘楼。
こちらは現在は取り壊されています。
こちらの写真の右側に土台があるのが確認できます。
鐘楼があったのはその場所になります。
ですので、石垣の右側にある道に三郎青年の車が停まっていたわけです。
三郎青年が車で寺を後にするシーンは、ここでロケが行われていたことが証言と物証で確定しました。
また、養徳寺を含めて、ロケのお話が紹介された大分の新聞も見せていただきながら、貴重なお話が続きました。
三郎青年が養徳寺を出て、螢子と再会する前に道路に立っている黒い服の女性。
この方、養徳寺の住職の長女さんだったそうです。そして大切そうに持っていたバックは沢田研二さんの大ファンだった友人の方のものだったとのことです。
沢田研二さんの人気ぶりを垣間見ることができるエピソードですね。
そして、最後にとても面白いエピソードが!
養徳寺での三郎青年の母・ふみの供養のシーンに出ているのは、養徳寺の住職さんだったそうなんです。顔も本編で少し映ります。こちらのシーン、本物の住職さんが登場していたんですね!
一方、前夜の湯平温泉の湯平荘での供養では、寅さんが宿の主人に「坊主の知り合いいねえか?こっちの我がままを聞いてくれるような…」と言って、ふみに惚れていた坊主を呼んできます。
この坊主がお経を読んだわけですが、こちらを演じているのは殿山泰司さん。
寅さんがご焼香の際に間違って熱い抹香を触ってしまい、坊主に飛ばして螢子たちが大笑いする対照的なシーンがあります。
そして、殿山さんがお経を読むシーンですが、口を少しだけ動かしているのが映る正面からのシーンが短くあるだけで、他は後ろ姿などばかりです。
実はこのお経、養徳寺の住職さんが読んだお経だったそうです!
寺の方の証言を聞いて、その後、本編を見返してみて、音声をインサートしたのだと納得しました。
螢子たちが、「お経!どこかしら?この旅館よ!」と言っていましたが、その声は養徳寺の住職さんだったのです。
2022年
1月
01日
土
2021年
12月
12日
日
第9作「柴又慕情」では寅さんが歌子たちと出会い、みそでんがくをご馳走したことをきっかけに記念撮影をすることになります。
そこで御前様が第1作で間違えた「バター」を第8作のお墓のシーンに続いて、寅さんが繰り出します。そして、大笑いする歌子たち3人との楽しい旅のひと時が始まります。
寅さんと歌子たちが出会ったのが、今は廃線となった京福電鉄永平寺線の京善駅です。
ちびとらが訪れたのは2013年の夏の旅。
(※その時の様子はロケ地の旅のページをご参照ください。ロケ地の旅 第9作)
この京善駅のシーンでは列車が出てきません。
そもそもこの京福鉄道永平寺線は歌子たちが線路を歩いているシーンやこの京善駅が出てきますが、列車が出てこないのです。
(※写真:歌子たちが線路の上を歩いていたロケ地である京福電鉄永平寺線の荒谷踏切付近)
本編では北陸で2つの列車を見ることができます。
1つは、オープニングで寅さんが夢から覚める尾小屋鉄道の金平駅は牛乳を積んでいる軽便鉄道が登場。
もう1つが、寅さんと歌子たちが別れた京福電鉄越前本線。東古市駅では夕暮れに停まっている列車、寅さんを残して東京へと帰っていく歌子たちを乗せた列車が登場します。
いずれもしっかりと列車が出てくるのに永平寺線は出てきません。
京善駅で印象的なのは、寅さんが休んでいたところで歌子たちが入ってきた戸枝屋という茶店ですね。
京善駅(跡)を訪れた際、現地である写真を見せていただくことができました。
その写真がこちら。
寅さんと歌子たちが出会った戸枝屋!
一度、この目で見てみたかった!
そして、しっかりと永平寺線の姿が!
本編では、北陸での3つ目の車両として登場しなかった今は廃線となった永平寺線!
子どもたちが登下校で使っていたんですね。
実は第9作「柴又慕情」では多くの鉄道が登場します。
オープニングタイトルバックの常磐線。
歌子が柴又から帰る時の京成線。
そしてインパクト大なラストシーンの中央本線のSL。
そして北陸で登場する尾小屋鉄道、京福電鉄越前本線もあります。
ここに永平寺線が登場してしまうと過多だったのでしょうか…。
この写真を見ることができて本当に良かったです。
撮影していただいた方、そしてお見せいただいた方に心より感謝いたします。
ロケ地に行くと、さまざまな発見、出会いがありますね。
ということで、今日はこの辺でお開きということで…。
ちびとらはこれからも旅を続けます。
2021年
11月
16日
火
「岩木山知ってるか?」。
第7作・奮闘篇で花子が柴又の土手で寅さんに聞きます。
岩木山は、青森県弘前市、西津軽郡鰺ヶ沢町にある標高1625メートル。青森県の最高峰の山です。
花子はこの岩木山を見て暮らしていました。
寅さんから葉書が届き、心配したさくらが青森県を訪れます。
さくらを乗せた五能線は、岩木山に向かってりんごの木の中を走っていきます。
このロケ地を訪問したのは2014年の夏の旅です。
事前の探索でおおむねの位置を確認して現地へ到着。
りんご園の農家の方が作業をしているところを訪れ、事情を説明して園の中に入らせていただきました。
農家の方は作業を止めて、わざわざ案内してくれました。
このロケ地のポイントは3つ。
・岩木山が見える風景
・五能線のカーブ
・りんごの木
ここで間違いありません。
ただ残念ながら雲が多く、岩木山はうっすらと見えているだけでした。
見えていれば絶景なんでしょうね。
第7作は春作品で4月公開。
ロケは2~3月頃に行われたのでしょうか。
本編に映るりんごの木は枝だけですが、ちびとらが訪れたのは夏ということで緑いっぱいの風景でした。
そして、カーブに差し掛かる手前には線路脇に標識らしきものが見えます。
まさか、りんごの木の切り株ではないと思いますが…。
農家の方もりんごの木をそんな場所に植えることはない、と仰っていました。
この標識らしきものはあるのでしょうか?
農家の方がいっしょに探してくれました。
すると…。
ありました!
草の中にまみれていましたが、ほぼ同じ位置に!
ロケ地は、この場所であることに間違いないので、列車が通過する瞬間を狙って撮影!
最後に農家の方にお礼を言って失礼しようとしたところ、なんと、もぎ立てのりんごをお土産にいただきました!
とても美味しいりんごでした!
どうもありがとうございました。
ということで、今日はこの辺でお開きということで…。
ちびとらはこれからも旅を続けます。
2021年
11月
16日
火
第6作・純情篇の冒頭、食堂でテレビ番組を見て故郷・柴又を懐かしみ、寅さんが柴又に電話をします。
博「今、どこですか?兄さん」「え?遠いとこ?」
おいちゃん「うそだよ。すぐ近くにいるんだよ」
おばちゃん「そうだよ。駅前あたりじゃないかい?」
博「兄さん、近所にいるんじゃないんですか?」「え?山口県?」
寅さん「これから九州行くところよ」
という電話での会話でした。
さて、寅さんが電話をしたのは山口県ということですが、この駅はどこなのでしょうか…?
これが今回のテーマであり、結論として神奈川県であることが判明し、先日訪問してきたレポートです。そして、前回の記事で書いていたもう1つのロケ地判明というのはこちらのことです。
このテーマについてですが、実はちびとらは数年前から探索を続けてきました。
今回、結論を出すに至ったプロセスは3つありました。
その1つ。ここに1枚の写真があります。
こちらは「男はつらいよ フーテンの寅さん25年の足跡」という本の中に掲載されていたものです。
このシーン、まず写真が古い。つまり初期作品のロケと思われます。しかし、どの作品を見てもこのシーンは出てきません。
しかも夜っぽい。
この段階から、第6作の電話のシーンの時に撮られた写真なのではないか?という可能性を探っていました。
そして、この写真の注目点。
上の切符の料金表です。
社家、厚木 40円
相武台下、下溝、原当麻 80円
このように書かれています。
これらの駅は神奈川県の相模川に沿って走る茅ヶ崎駅から橋本駅を結ぶ相模線の駅です。
そして、寅さんがいる駅は、社家、厚木駅に近く、相武台下駅からは遠くなるということです。
さらに社家の下には30円という駅が存在し、下の文字から何となく門沢橋と書かれているようにも見えます。
相模線の路線図の一部です。
相 厚 社 門 倉 宮 寒
武 ~ ー ー 沢 ー ー ー
台 木 家 橋 見 山 川
下
ということは、寅さんの写真が撮られたのは倉見駅、宮山駅や寒川駅があやしい、ということになります。
ただ、この時点では、第6作があやしいがそのロケだということまでは確定できない、ということでした。あくまでも写真が撮られた駅ということです。
そして、第2の過程は昨年2020年の年明け早々のことです。
ちびとらのサイトをご覧いただいている Hさん という方からメールをいただきました。
書かれていたのは、
昭和40年代に寒川駅を出たところのキオスクの公衆電話
での寅さんの撮影の情報でした。
まさにシーンとしては第6作の電話のシーンそのものですね!
そして寒川駅!
第1の過程と情報が完全に一致。
第6作のシーンは寒川駅に間違いないのではないか、このように考えるようになりました。
そして、最後の過程。
Hさんのメールから1年9ヶ月。
先日の第14作のオープニングで埼玉県ロケがあったことを補強した撮影の高羽さんが使用した台本です。
福島県湯川村の湯川たから館で、第6作の台本をチェックしました!
そして!
そこには見事に、山口県のある駅前というシーンの上に、高羽さんの手書きで 寒川駅 と書かれていたのです!
3つの過程を経て、長年の疑問が完全に解決しました。
さあこれで最後に残るは現地訪問!
訪れたのは、11月上旬のとある日です。
左:2021年11月 ちびとら訪問時 右:「寒川町の70年」より
右の写真はロケから大分経っていますが基本構図は同じで、駅入り口の脇にキオスクがあり、人が立っているあたりで寅さんが電話していたと思われます。
また、下記↓のサイトにはロケ当時のホームの屋根とキオスクの位置関係がはっきりと分かる写真が掲載されています。非常に貴重な写真ですので是非ご覧ください。
My Station Odyssey 2: 寒川駅(相模線)キハ10 (so4338new.blogspot.com)
さて、冒頭にも書いた電話での会話を思い出してみてください。
「兄さん、近所にいるんじゃないんですか?」 → 近所ではないが、山口県ほど遠くはなかった!
「これから九州行くところよ」 → 寅さんは神奈川県から長崎へ行った!
いうことになりました・・・。
山口県で電話のシーンだけを撮るわけにいかず、大船撮影所から近い神奈川県寒川駅での撮影となったのでしょう。
寒川駅訪問時には、駅近くにあるコムロデンキさんでお話を伺いました。寒川駅北口商店会さんにありました。
駅のホームに寅さんのバックに映る屋根があったこと、駅入り口にキオスクがあったことなど記憶されていました。
貴重なお話、ありがとうございました!
そして、情報をメールでお寄せいただいたHさん、ありがとうございました!
それでは今日はこの辺でお開きということで…。
引き続き、ちびとらは旅を続けます。
2021年
11月
12日
金
さて前回の記事では、「男はつらいよ」に埼玉県でのロケがあった、というこれまでの定説を覆す発見について紹介しました。
そのロケ地が埼玉県秩父市の美の山公園であること、その補強材料を得た場所が福島県湯川村にある高羽哲夫さんの資料館だったことを書きました。
湯川村への訪問をお誘いいただいたのは寅友の寅福さん。
寅福さんはある作品のあるロケ地を探しており、資料館に展示してある「男はつらいよ」の撮影を務めた高羽さんが使用した台本を閲覧することを目的とされていました。
そのお誘いに私は二つ返事でOKしました。
なぜなら、私にも大きく2つの目的があったからです。
それがこの第14作のオープニングのロケ地について何かヒントはないのかということ。
そしてもう1つが別の作品のあるシーンについて、数年前から探索を続けており、そちらも何か台本に書かれてはいないのか見てみたいということでした。
10月中旬のある日、湯川村へと向かいました。もう1人、彰さんも同行されました。こういう場合、運転は私の仕事です。途中、雨も降りましたが、お昼前に無事、湯川たから館に到着。
湯川たから館には「高羽哲夫の軌跡」と立派な看板が立っています。
事前に寅福さんが台本の閲覧をさせていただく旨、許可を得ていたので、館の職員の方に歓迎していただけました。
そして初めて資料館に足を踏み入れました。
入口はこんな感じです。
湯川村の出身、高羽さんの功績がいっぱい詰まっていそうです。
館内には高羽さんの写真、ロケの様子などの写真がたくさん飾られています。
ロケ地を回ると高羽さんのカメラがどこから撮影したのか探して、それを私たちは高羽アングルと言わせていただいています。
その高羽さんがカメラの脇で指示をしたり、カメラを覗いたりしている写真の数々…。
それらを見るだけでも楽しい時間です。
高羽さんが使用された台本もずらりと並んでいます。
それではいよいよ台本の閲覧です。
お昼過ぎから閉館前までの4時間ほど、あっという間に時間が経っていきます。
ロケ地の記載やヒントが書かれていないのかチェックするのですが、どうしてもいろいろと台本の脇に書かれたメモだったり、撮影のサイズやパンなどのメモに目が行ってしまい中々はかどらないのです。
面白くて本来の目的を忘れてしまいそうになってしまいました。
閉館が近づき、いよいよ今回の目的の第14作の台本を手にしました。
いきなり本編最初のシーンの部分ですからね。
開けるのがドキドキです。
「あっ!!!」
と思わず声をあげてしまいました。
そして「良かった!やっぱり推理は合ってたんだ~」と発してしまいました。
そう。高羽さんの台本の1ページ目にしっかりと書かれていたのです。
実写(秩父美の山)
その声に何か発見したのだろうと思ったのでしょう。寅福さん、彰さんが近づいてきました。
そして、私が個人的に数年かけて作成してきたロケ地の資料データを見せました。そこに埼玉県秩父市と書いてある箇所を見せ、高羽さんの台本も見ていただきました。
長きにわたって、埼玉県ではロケが無かった!というのが定説となっていた中、お2人は沈黙…。
言葉を失うというのはこういうことなのでしょうか。
最後の最後に大発見をして私たちは湯川たから館を後にしたのです。
帰りの車の中。
お2人の会話は95%、この話題でした。
残りの5%は交通費の精算。
私はというと…。
初訪問のロケ地に降り立った時の最初の感動や興奮を大事にしたいという個人的な思いがあり、お2人の会話やスマホを使って秩父美の山の画像検索に極力加わらないようにし、安全運転に集中していたことは言うまでもありません。
そして、数日後…。
埼玉県秩父市美の山公園を訪れ、雲海は発生する秩父の山々の撮影に成功。
(サイトのTOPページに貼ってあります)
その後、夕暮れ時の撮影、そして3回目には「高羽アングル」での雲海撮影に成功しました。
ありがとうございます。高羽哲夫さん。
追伸…。
もう1つの目的だった別の作品のあるシーンについても台本にしっかりと記載がありました。
私のサイトを見た方からの情報提供、その後も私は探索を続け情報提供いただいた場所に間違いないとは思っていたのですが、この未発見だったロケ地がその場所であることが補強され確定することができました。
こちらについては近日中に報告させていただきます。
2021年
10月
25日
月
結論から申し上げます。
なんと、埼玉県で「男はつらいよ」のロケが行われていました!
これまで、
・寅さんが行っていない県は3つある
・「男はつらいよ」のロケは、高知県、富山県、埼玉県の3つの県では行われていない
とされてきました。
その定説が変わるロケ地の発見です。
この画像を見て、どのシーンかすぐ分かる方は多くはいないと思います。
実は、この山々、雲海、雲海の下にある街が埼玉県なのです。
こちらが映る作品とは…。
それは、第14作「男はつらいよ 寅次郎子守唄」です。
そして、そのシーンとは…。
松竹映画の文字が消えて、本編が始まってすぐ。
「昔、ある村にな。とても働きものの夫婦がおった。正直者で人には親切で村じゅうで…」のナレーション(昔話風)で始まる寅さんの夢の中のシーンです。
本編の映像では、日の出前の山々の稜線、シルエット、そしてその山々の下には雲海が発生しています。
このシーンが撮影されたのは、埼玉県秩父市の美の山公園です。
このシーン、ワンカットのためだけに、埼玉県でロケが行われたのです。
この後、夢から覚めた寅さんが旅をするのは群馬県の妙義山一帯。
寅さんが山門でザクロを食べるシーンが撮影されたお寺を発見するなど、何度も訪問してきました。
そして、夢のシーンの雲海が発生した山々も山の形などがゴツゴツしているので、てっきり同じ群馬県の妙義山のあたりかなと思っていました。
そのロケ地が埼玉県秩父市のこの地であるとおおむね分かったのが去年の夏のこと。
ただこの間、新型コロナウィルスによる緊急事態宣言などが発出されており、現地への調査、訪問ができない状況が続きました。
この定説を覆す発見は、衝撃的な事実で長年、多くの方々が発言されてきたことを否定することにもなり、確かなことが分かるまでは発表することを控えてきました。
違っていた時の事も考えると寅友の皆さんにも言うことができません。
しかし今回、現地への調査、訪問を行い、ついに確証、確定することができました。
写真は、新型コロナウィルスの緊急事態宣言が解除されていた10月18日、雲海の発生を狙って早朝5時30分過ぎから撮影したものです。
撮影したのは、美の山公園の山頂展望台からです。
雲海と秩父の山々を撮影する有数の撮影スポットで知られるこの場所で、多くの写真愛好家、雲海の撮影をしている方々に混ざって、「男はつらいよ」のロケ地を撮影してきました。
そしてこの写真は、後日、本編アングル、高羽アングル、撮影のピンポイントで撮ったものです。
夕暮れの時間帯を狙って撮影しました。
撮影したのは、黒谷の展望所。
雲海は発生していませんが、これはこれで素晴らしい風景でした。
高羽アングル、撮影ピンポイントでの雲海発生時の撮影も可能であれば行きたいと思っています。
本編のパンが始まるところで映る横に広がる山、それは両神山(りょうかみさん)。
そしてパン途中に映る特徴的な山、それは二子山(ふたごやま)。
2つの山があるのは、埼玉県秩父。
実はこの2つの山、その見え方が埼玉県、秩父の美の山公園での撮影だということを発見するに至ったきっかけでした。
2つの山がこのように見えるのは埼玉県方向からしかない!と確信したのです。
しかしながら埼玉県ではロケはなかった、という定説があることから、確証を得るためにさらなる調査が必要でした。
そこに入ってきたのが雲海は埼玉県秩父市で発生するという情報。
いろいろ調べた結果、この美の山公園にたどり着いたのです。
緊急事態宣言も解除され、雲海が発生する10月~11月の期間、現地への調査、訪問を行おうとしていた最中、偶然にも寅友の方からのお誘いで、「ある場所」へ行くことになったのです。
もちろん一緒に行った寅友の方々は、私が心に留めていたこの埼玉県ロケ地の話は知りません。
たまたま偶然、時期が重なっただけです。
その訪れた「ある場所」で、このシーンが埼玉県秩父の美の山公園での撮影であるという一つの補強材料を得ることができたのです!
「ある場所」とは…。
会津磐梯山を望む福島県湯川村の湯川たから館。
「男はつらいよ」の撮影を務めた高羽哲夫さんの資料館です。
(近日アップの高羽哲夫の軌跡~湯川たから館~ に続く…)
2021年
2月
01日
月
第14作「寅次郎子守唄」のマドンナは木谷京子さん。
「飴振って痔固まる」(雨降って地固まる)ととらやの茶の間でギャグを言った人であります。
今回の記事では、京子さんが暮らした街、そして京子さんの家について紹介します。
この新発見は、去年の6月に調査しました。
病院で看護師を務める京子さん。夜勤明けにわざわざとらやへ赤ちゃんの様子を見に来ました。その後、京子さんが自宅への帰るシーンが登場します。
まず京子さんは京成本線の江戸川駅を降りてきます。まさに江戸川の川沿いにある駅です。
京子さんは柴又駅で電車に乗り、高砂駅で乗り換えて江戸川駅へ行ったことでしょう。
柴又から江戸川駅までは約3キロ余りなので、時間があれば江戸川の土手をのんびり散歩しながら歩けば1時間弱で着きます。
しかしこの日の京子さんは「眠くて眠くて」と言っていたので電車で家に帰りました。居眠りして乗り過ごさないで良かったですね。
※現在の江戸川駅に降り立ったちびとら(2020年6月撮影)
京子さんは駅を出て、左手へ歩いていきます。
さて、今回の記事の最大のテーマは、京子さんの家はどこなのか?です。
ヒントは、江戸川駅の近く。(ヒント①)
そして、京子さんはアパートの階段を上がって部屋に入ろうとします。
(※)この時、アパートの裏の風景、近所の家並みが映ります。(ヒント②)
すると、隣の方から荷物が届いていることを聞かされます。ご実家の山形県米沢市のお母様からのりんごなどの贈り物でした。
(※)この時、荷物を部屋に運び入れる時に江戸川の土手が映ります。(ヒント③)
最大のヒントとなったのは、②のアパートの裏の家並みの風景です。
(本編キャプチャをサイト内に貼り付けることは本来していないのですが、今回は諸事情により、貼らせていただきました。諸事情は下記に記します。)
京子さんのアパートから見て、左側に手前から黒い小さな屋根、大きい青い屋根が縦に並び、その右側に手前から赤い屋根、青い屋根が横向きに、その向こうに黒い屋根が縦向きにあります。
これらのヒントを基に、ロケ当時に近い年代の航空写真で検証してみました。
水色の四角が江戸川駅です。
この付近で、かつ江戸川の土手付近を探してみたところ、赤丸の部分にまさにその家並みが確認できました。
緑色の矢印が撮影方向です。
ということで、矢印の下の白い大きな屋根が京子さんのアパートだということが判明しました!
さらに、京子さんがアパートの階段を上がってくる来るカット、パンしているので分かりづらいですが、一瞬曲がり角が映ります。それが黄色の曲がり角です。
そして、土手の脇に映る道でもあります。
こちらが現在のマンションの外観です。
外から見てみると、京子さんが上がっていったのと同じ向き、同じ雰囲気で階段がありました!
こちらのマンションですが、当然のことですが、現在、ここで暮らしている方がいらっしゃいます。マンション内に立ち入ることは許可なくできません。
ロケ地を回る際には、そこに暮らす人たち、生活する人たちの妨げをしないよう配慮が必要です。
あくまで趣味で回っている私たちは、ロケ地に伺わせていただいている、撮影させていただいているという精神を心がけるようにしています。
さて話を戻します。
検証のために京子さんが荷物を運ぶ時に映る江戸川側の風景を見てみましょう。
江戸川の向こう側に大きなマンションが映ります。
下の写真が京子さんのマンション側から同じ角度で写した写真です。
さらにダメ押しで!
京子さんのアパートの裏に見えていた赤い屋根の家が同じ位置に現存していました!
木谷京子さんのアパートに届いたお母様のお荷物ですが、今回の新発見により、お母様は住所を書き間違えたことが判明しました!
あれだけ離れていて良く無事に荷物が届いたものですね!
2019年
12月
19日
木
いよいよ12月27日より公開となる「男はつらいよ お帰り 寅さん」。
私たちは、10月28日に東京国際映画祭のオープニング上映で、一足早く鑑賞させていただきました。
上映前には山田洋次監督をはじめ、出演者の皆様のご挨拶もありました。
内容には一切触れませんが、50年という長い「男はつらいよ」の歴史があるからこその作品となっていました。
何よりも、ちびとらが「男はつらいよ」の公開にリアルタイムで立ち会えたことに感謝です。
これまで全ての作品はDVDでの鑑賞で、2回ほど劇場での上映に連れて行ったことがありますが、まさか新作の公開の日を迎えることができるとは思っていませんでした。
DVDとはいえ、すべての作品を観ていたからこそ、この「男はつらいよ お帰り 寅さん」もちびとらは楽しみ、感動していたようです。
寅さん、山田監督、そして出演者の皆様、本当にありがとうございました。
2018年
5月
07日
月
新発見することができた第29作のロケ地についてです。
京都の陶芸家・加納作次郎のもとで奉公をしていたかがり。
失恋の後、実家のある伊根へと戻っていきます。
この車窓ですが伊根へと向かう場所であることは想像がつきますが、右へと曲がっていく海岸線、そして岬が特徴です。
グーグルマップなどの地図を見れば、比較的候補は簡単に探すことができました。
線路との位置関係などから更に候補を絞り込み、ストリートビューで探索しました。
そして今回、ロケ地を訪問してきました。
本編にも映る右側の赤い屋根の特徴的な家は健在でした。
そして本編では、こちらの青い屋根の家も目立ちます。
電柱の立ち方もロケ当時のままのようです。
本編では、かがりが乗っている電車の車内からの映像ですが、上記2つの物証があるので、この近辺を通過する際の車窓であることは間違いありません。
ロケ当時、国鉄宮津線。現在の京都丹後鉄道宮舞線の丹後由良駅から栗田駅間でのロケでした。
線路からの撮影は当然できませんので、ちびとらは休耕寺に許可をいただいて敷地内で撮影をしました。木々が生い茂り、本編のようには撮影できませんでしたが、線路がすぐ目の前にあるので線路をかませて撮影できること、高さなども本編に近いアングルで撮影できました。
実際に電車に乗って撮影するのがベストかもしれませんが、本数も少ないのでこちらでOKとしました。
2016年
6月
23日
木
2012年夏の旅では木曽路を回った。
塩尻から木曽路に入ると、第10作のオープニングに登場する日出塩駅から第22作や第44作のロケ地の数々を回ることができる。
木曽路のロケ地は今もそのままの所が多く、素晴らしいコース、行程となるのでおすすめである。
そして忘れてはいけないのが第3作のオープニングの奈良井宿だ。
この時の旅では、大変運よく予約が取れ、本編に登場する奈良井宿の越後屋さんに宿泊することができた。
創業は寛政年間。200余年に及ぶ歴史をもつ越後屋さん。
現在では1日2組限定で宿泊が可能だ。
寅さんが風邪で寝込んでいた宿であり、結婚披露宴で盛り上がっていた宿である。
江戸時代の宿場の佇まいを感じることができる越後屋さんに宿泊できるということで旅に出る前から楽しみにしていた。
そして案内していただいた部屋はこちら。
1階の部屋なので結婚披露宴が行われた部屋ではない。
部屋からは本編にも登場するSLが走る中央本線を見ることができた。
夕食は木曽の山菜や川魚がメインで大変おいしくいただいた。
風邪をひいて寅さんが入れなかったであろうお風呂(?)。
貴重な体験となった奈良井宿での一夜だった。
2016年
5月
13日
金
2016年GWの旅は、会津、栃木、茨城を回った。
そのうち第36作のオープニングのロケ地である会津についてレポートしたい。
既に2年前のGWの旅で訪れ、大方のロケ地は解明、訪問していた。
その中で発見できていないロケ地の一つがこのシーンだった。
「名物ボータラ」と書かれた札とボータラが店頭軒先にかかっているお店、土産店の前を寅さんが歩くシーンである。
ヒントは左側に見える石塔。そして土産店だ。
この後のシーンは会津柳津町の円蔵寺の参道なので、ここも柳津かと思いきや前回この場所は発見することができなかった。
今回、事前調査でも柳津で見つけることができず、やむを得ず地元の観光課の方にメールで質問したところ柳津ではない、との回答をいただいた。(お忙しい中、ご協力ありがとうございました)
探索範囲を広げてみても発見できず、ロケ地の旅の日程が近づき焦る中、寅友である寅福さん、小手寅さん、彰さんに相談を持ちかけた。
心優しい友たちはPCを駆使して、いっしょにこのボータラ店を探すのを手伝ってくれたわけだが、それでもなかなか見つけることができなかった。
そしてついに会津入りの日を迎えた。
残念ながら今回はあきらめか・・・。
そんな時だった。
彰さんより発見の知らせが入ったのだ。
このボータラ店は柳津から離れた会津美里町、只見線の根岸駅そばにある弘安寺だというのだ。
本編にこの後登場する円蔵寺と同じく会津六詣出に数えられている中田観音と呼ばれる曹洞宗のお寺である。
そういえば、円蔵寺へ向かう道にもやたらと中田観音の案内看板を見かけた。
かなり有名なお寺なのだ。
4月29日。雨が上がった会津地方。
弘安寺に到着。
まぎれもなく本編と同じ風景である。
向こう側の土産店はカーテンが閉まっているが、寅さんが歩いた参道である。
それにしてもなぜワンカットだけ入っているのだろうか。
なぜこの場所だと分からないように編集されているのだろうか。
その謎を解くため、ボータラ店に入ってお話を聞いてみた。
(写真 左上)本編を別角度(中田観音側)から撮影。
寅さんは2つの土産店の間の道を歩いてきた。そして右側へ歩いて行った。
(写真 右上)ボータラがかかっていたお店・つるやさんの外観。
(写真 左下)弘安寺・中田観音の本堂。
(写真 右下)つるやさんの店内にあったボータラ。
そして、つるやさんの齋藤麗子さん(78歳)にお話を伺った。
かつて、つるやさんをはじめとする門前町は賑わっていたそうだ。
同じ福島県のいわきあたりから来られる中田観音の参拝客もつるやさんで宿泊されていた。だが高速道路ができて日帰りが可能になるのと同時に宿泊客も激減していったそうだ。
そして、この6月で2階の宿泊施設も閉館するとのことだ。
ボータラも現在は予約注文を受けて作るだけになっていて、店内には一つだけかかっていた。
ロケは寅さんが根岸駅方向から歩いてくるシーンも撮影していた、と齋藤さんはお話ししてくださった。根岸駅も「男はつらいよ」に出てくる雰囲気の駅で、第35作のオープニングの舞田駅に似ていた。
ロケの合間に渥美清さんはつるやさんのお茶の間で休憩されたそうだ。
今から31年前。
齋藤さんはその時のことをはっきり覚えていらっしゃった。
「渥美さんが座っていたのはそこよ」。
ちびとらも同じ場所に座らせていただいた。
47歳だった齋藤さんはお茶を入れたり、渥美さんといろいろなお話をしたそうだ。
「このロケ地のことをサイトで発表したら、それを見た誰かが来るかもしれません。その時はぜひまたお相手をしてくださいね」とお願いした。
「2階の旅館も閉めるし、ボータラももうほとんど作らないからね。いつまで続けられるか分からないから、そのことだけは書いておいてね」。
最後に齋藤さんにお願いして1枚写真を撮らせてもらった。
30年余の歳月を経て再現した第36作オープニングのワンシーンだ。
最後に。
写真は店内に1枚だけあったボータラを店頭軒先にかけて本編を再現させていただきました。
齋藤さん、どうもありがとうございました。
最後になりましたが、このロケ地に立つことにご協力いただいた寅友の皆さんに深く感謝いたします。
[ご協力いただいた皆さま]
彰さん
寅福さん
小手寅さん
今回の旅で第36作のオープニングは全て踏破するこができました。
詳しくはロケ地の旅のページをご覧ください。
2016年
4月
13日
水
2016年の春の旅は、信州を回った。
メインは第40作の小諸だが、第29作、第35作のオープニングのロケ地も訪れた。
いずれも2度目の訪問なので、すべてのロケ地を回りきりたいと思い、事前調査もすすめ現地へと足を運んだ。
ロケ地の詳細な情報は、「ロケ地の旅」のページに既にアップ済みなので、ここではそのまとめとして今回の旅を振り返る。
まず、第40作のオープニングだ。
吐竜の滝(上の写真)をはじめいくつかのロケ地を回り、新発見もあった。
1つ目が本町交差点近くの坂道。
坂の上の道を神輿がいくシーンだ。ちびとらが坂の途中にいるが、本編では祭の参加者がこの坂道を歩いていく。
こちらの物的証拠は右側の石垣。
そして坂の上の突き当りの建物。これは本町交差点にある店舗(麺族無我夢中)。
2階部分などが本編と一致し、ロケ地と判明した。
2つ目がやはり本町交差点からほど近い大和屋紙店、蔦屋骨董店付近。
神輿のシーンで登場する。
こちらは大和屋紙店とその右となりの建物、そして蔦屋骨董店を除いてはかなり変化していて事前調査でここだろうと踏んで現地でも撮影した。
その後、寅仲間の方々にご協力いただき検証し、ロケ地と判明した。
3つ目はメインタイトルバックとなった小諸市の俯瞰で遠くに浅間山を望むこのカット。
浅間山は雄大だが、市街地が目立つメインタイトルバックになっているのも意外と数は多くない。
画面下、中央より左側の方の特徴的な建物などからこのロケ地を発見し、俯瞰撮影については許可をいただき行った。
またこれは既にロケ地を回られている方が発見していたそうだが、寅と真知子先生が病院から歩いていく商店街も訪れた。
本編で映るサトウの看板はこちらのメガネのサトウさんのお店。
寅たちが角を曲がるシーンでメガネ、電池の看板が右端に映っているが、ここは実は理容室。
このサトウさんの看板を山田組が移動したそうだ。
今回、サトウさんのお店にお邪魔したところ、大変親切にロケ当時のお話を聞かせていただいた。
店内にはロケ当時の写真が飾ってあった。
寅たちが商店街を歩く際に道の脇に菊の花が飾られているが、これはサトウさんの先代が手入れをしていたものだそうだ。
今も映画の中に思い出として残っている、と語っていただいた。
今回の旅では、さらに第35作のオープニングで寅が出会う旅の雲水が訪問する民家を発見することができた。
特徴的な道はそのままで民家もロケ当時のままだった。
今回訪れた小諸は寅さん会館があった場所であり有名なロケ地だが、意外と未発見だったところも多かった。
全国にはまだまだ未発見のロケ地も多い。
次回の旅も楽しみである。
(まったく更新が追い付かず、アップが旅の順序と前後しています。5月には2011年以降の分も順次更新していきます。)
2016年
2月
24日
水
2011年夏の旅で訪れた一つが第42作の佐賀県古湯温泉だ。
寅さんと郷土史会のメンバーが吉野ヶ里遺跡を回った後、宿泊する温泉である。
実際のロケ地はえびす屋さん。
そして渥美さん、山田監督をはじめスタッフが宿泊したのがその隣の元湯温泉鶴霊泉旅館さんだ。
ちびとらもせっかくなので事前に予約をして鶴霊泉旅館さんに宿泊させていただいた。
玄関を入ると、たくさんの写真が飾ってあり、ロケ当時の写真に加えてサインなども多数あった。
予約時に何もお伝えせず、寅さんファンであることなど知らないはずだが、チェックインして案内された部屋は「川瀬」。
写真のように入口には渥美さんの写真といっしょに寅さんの宿の標記がある。
実は渥美さんが泊まっていた部屋だったのだ。
第35作のロケ地、中通島を訪れた時にも渥美さんが宿泊した部屋に泊まらせていただいた。
この古湯温泉でも偶然にも同じことが起こったのだ。
宿の方に感謝の気持ちをお伝えし、思い出に残る時間を過ごさせていただいた。
2016年
2月
23日
火
この写真はもう二度と撮影できない。
ここは第42作で寅さんと満男が相部屋になる宿だ。ちびとらが訪問したのは2011年8月。
当時はどの資料やサイトを見てもこのロケ地についての情報やレポートはなかった。
この時の旅でまだ知られていない新たなロケ地の発見をめざしていた。すると、宿の隣の焼き鳥店、電柱の看板などからこの宿を発見することができた。
近所の方に話を聞いたところ、撮影があったことを覚えていた方もいらっしゃった。完全に外観のみの撮影でB班ロケのはずだが、夜と朝の2回のロケがあったので偶然見かけたのだろう。
ところで現在、ストリートビューで確認したところ、えびす旅館の建物は取り壊され空き地となっていた。
2016年
2月
18日
木
第14作といえば呼子のシーンが思い浮かぶ。
唐津でバイをした寅さんがやってきたのはイカで知られる呼子。
そしてストリップ小屋の踊り子と船着き場でアンパンを片手に語り合うあの名シーンである。
現在、渡し船もなくなったことで船着き場も利用されていない。民家の裏手にその面影を残すだけだ。
ここで寅さんや春川ますみさん演じる踊り子さんのようにアンパンを食べてみたかったが、お店もなくなっていて手に入れることができなかった。
この船着き場、呼子ショー劇にもアンパン持参で再び足を運んでみたい。
2016年
2月
16日
火
暑い夏の旅。
ちびとらは川で思いっきり遊んだ。
この写真を見てピンとくる方もいると思う。
第28作のロケ地、秋月だ。
秋月は美しい。
数々のシーンが撮影された多くのロケ地がかなりそのままの状況で残っている。
ちびとらの向こうの川のほとりの小道は寅さんと光枝さんが歩いた道だ。
第28作で美しいこのシーンのロケ地で川遊びができるなんて本当に贅沢だ。
この旅は忘れられない思い出として残っている。
2016年
2月
11日
木
かつてのボタ山の写真である。
本編では寅さんの背後に木々に覆われすっかり普通の山となったボタ山が映し出される。
第37作の寅さんは下関で柴又に電話をしてバイをする。その後、九州へと渡っていく。
門司港から北九州市、直方市とぬけて小竹町赤池の沈下橋を渡り、飯塚へと向かう。
その寅さん、飯塚市内で子どもに道を聞く。
「飯塚行くのはどっちだ?」。
この道を聞く場所は、直前の遠賀川の沈下橋と風景が一変する。炭鉱で繁栄した筑豊の風景だ。
筑豊富士とよばれた忠隈のボタ山も見え、看板や風景でかつての炭鉱の今を描いている。
そののロケ地はボタ山が分かっていたことから山の見え方で周辺を探索して発見することができた。
九州に住まれている寅友に飯塚、田川のロケ地をご案内いただき、その中でいっしょにこのロケ地を発見した。
その際に近隣に住んでいる方に見せていただいたのがこの写真である。
「男はつらいよ」のフィルムには映っていない、ボタ山の姿だ。
2016年
2月
04日
木
長いシリーズ中、人ぞれぞれお気に入りのラストシーンがあるだろう。
もちろん最高なのは、第25作のリリーと再会する暑い夏のバス停。
第17作の「東京どっち?」も人気だ。
ちびとらも当然、その2作品のエンディングは大好きだ。
そして、第8作の原風景の中の寅さん、小百合ちゃんとの再会と寅さんの笑顔、トラックが走っていく爽快なラストも忘れられない。
この第8作からエンディングは美しい風景や爽快なシーンで締めくくられる秀逸な作品が続く。
第8作のこのロケ地は2010年の11月に発見することができた。
「男はつらいよ」のロケ地回りの先駆者の方が既に行かれていた場所だったが、詳細な住所や情報が分からず、いろいろと調査と探索をして辿り着くことができた。
以後、このロケ地にはこれまで3度訪れている。
天気が良ければしばらく座ってのんびりと時を過ごした。
最初の訪問の時にはあった寅さんが一休みした農家の家も取り壊された。
ロケ当時と変わって道も整備されている。
しかし、ここ大泉町西井出はロケ地の風に吹かれて心地よい時間を過ごすことができる場所だ。
2016年
1月
28日
木
第35作のマドンナは若菜。そして若菜と同じアパートで暮らすのが司法試験の猛勉強中の民夫。
2人が暮らすのは東京は文京の白山。
このアパートや大家さんが買い物をする八百屋さんは寅友の彰さんの発見により訪問することができた。
その際に何か新発見をしたいと思い、周辺を調査した結果、若菜と民夫がデート帰り道にアパート近くで相合傘をしてくぐったアーチを見つけることができた。
既にアップしてありますので、興味がありましたら是非ご覧ください。
2016年
1月
24日
日
2010年夏の旅では、先日ブログとロケ地の旅紹介をした第41作の栗原電鉄のロケ地の後、宮城県の鳴子温泉を訪れた。
鳴子温泉には、兵馬が騒動を起こした後、寅さんと車掌さんが兵馬といっしょに宴会を行う宿がある。宿の名前は花園旅館である。
訪問した時、花園旅館は入口にベニヤ板が張り付けられ、既に閉館した様子だった。
この花園旅館であるが、ストリートビューで確認したところ、現在既に取り壊しが行われ、駐車場になっているようだ。
栗原電鉄の線路に続いてロケ地が消えてしまったことになる。
2016年
1月
23日
土
2010年夏の旅は東北を訪れた。
第41作で坂口兵馬が騒動を引き起こした栗原電鉄の旧鶯沢駅付近では、廃線から3年後ということもあり、線路が残っていたので現場で大変嬉しかったことを思い出した。
ちびとらが座っているのが、ちょうど兵馬が線路に横たわっていたあたりだ。寅さんも栗原電鉄から降りてきて兵馬に声をかけた現場だ。
車内をはじめ、当時のロケの様子は五十嵐さんの本に詳しく掲載されていたので、このロケ地発見の際にも大変参考にさせていただいた。
ところで今、このロケ地はどうなっているのか。
気になってストリートビューをのぞいてみた。
現在、線路は全て撤去され、あたりはきれいに整備されているようだ。
本編に映る工場も立て替えられていた。
5年半前の訪問は、線路の写真が撮れるギリギリの時期だったのかもしれない。
2015年
8月
28日
金
2015年夏の旅は北海道だった。
前半4日間は寅友である彰さんと第15作のルートをたどって青森から函館へと入り、その後、小樽、札幌、千歳と回った。
また札幌、千歳では、北海道在住の寅友・北の桶さんも合流した。
お2人と別れた後、ちびとらはさらに道内の旅を続けた。
その中で訪れた地の一つ、網走。
そうご存知、第11作のロケ地である。
寅さんとリリーが出会う街、シリーズの大切な場面が撮られたあの地だ。
2人が運命の出会いをする網走橋は今まさに変化しようとしていた。
ちびとらの目の前で橋のたもとにあった網走造船の建物が壊されていた。
建物の残骸が次々とがれきの山となっていった。
この場所はどうなるのだろうか…。
寅さんとリリーが語り合う名シーンの場所は近いうちに激変してしまうのかもしれない。
当サイトもなかなかアップが進んでいませんが、今年は春の旅で沖縄、GWの旅で滋賀、瀬戸内海と回ってきました。
今回の北海道の旅も徐々にアップしていきますので、気長にお待ちいただければ幸いです。
まずは、この網走のロケ地の今をレポートしました。
2015年
5月
24日
日
現在、ロケ地の旅の写真を整理しながらサイトにアップしているところだ。
2009年夏の旅の整理をしていたら、上五島・中通島での懐かしい写真が出てきた。
中通島が登場するのは第35作。マドンナは樋口可南子さんである。
写真は中通島でちびとらが泊まった宿である。
たまたまこの宿を予約し、チェックインして寅さんファンでロケ地を回っていることを宿の方に伝えたところ、「今日お泊りになるお部屋は渥美清さんが泊まられた部屋ですよ」とびっくりするお答えだった。
そして案内していただいた部屋がこちらである。
このような偶然というか奇跡もあるのだな、と感激して楽しく過ごさせていただいた。
中通島に行かれる方は、一度、ご宿泊されてはいかがでしょうか。
ちなみに講談社のロケ地ガイドにもこの宿のことは掲載されていますのでご参照ください。
2009年夏の旅は長崎県を回った。
第40作の島原、第47作の雲仙、そして第20作の平戸、第35作、第6作の五島である。
初期のロケ地回りは、全てのカットを回ることにこだわらず、メインのカット、ロケ地を回り、ロケ地の空気を感じ、浸る、そしてその周辺で観光したり遊んだりすることに重点を置いていたことが写真を整理してみて分かった。
ロケ地の旅のページをご覧になる際には、そのあたりも考慮して見ていただければ幸いです。
2015年
5月
15日
金
今年のGWの旅では、第47作の琵琶湖周辺を訪れた。約7年ぶりに2回目の訪問である。
前回は全く別の用事で行った際、合間にロケ地を回ったので菅浦、長浜のメインとなるロケ地を軽く回っただけであった。
ちなみに、第47作の琵琶湖周辺のロケ地については、寅友である小手寅さんがほぼ完ぺきに回られており、大変参考にさせていただくことができた。小手寅の地方ロケ突撃隊関西駐屯地
ただ、小手寅さんでさえもいくつか特定できていないロケ地があった。
その一つが長浜に到着した満男が先輩の家までの間に乗るタクシーの車窓の一つだ。
一瞬映るだけのこの長浜の街並みの場所が分からなかったのだ。
まず長浜駅から先輩の家までの道の付近一帯であることは間違いない。
そして当然、右側に映る「くすり」の文字が手がかりではある。
だが、既に付近の薬屋の周辺をストリートビューで探してみるもこの場所はなく、薬屋はなくなってしまっていると思えた。
そこで次の手がかりを探そうと画面を良く見てみる。
すると、タクシーが右折する際に小さな石碑が映っていることを見つけた。
車窓風景なので読みづらいが、わずかに一番上の文字が「北」と読める。
歴史に詳しい方ならピンとくるかもしれない。
そこで少し調べてみると、次のことが分かった。
ここ長浜にも通っていた江戸時代の要道、「北国街道」である。
米原から直江津までを結んでいたいわゆる北陸道を「北国街道」「北こく道」と呼んでいたのだ。
そうなると、後はかつての「北こく道」の道を辿っていけば見つかることは間違いがないが、ネット検索してみると、ありがたいことに「北こく道碑」について書いてあるサイトが見つかった。
私の場合、ほぼロケ地が特定できている場合、ストリートビューをあまり見ないようにしている。現地で発見した時の感動、頭に入っている本編の映像がロケ地の現場で蘇ってくるあの感覚、瞬間を味わいたいからだ。
そして5月3日、このロケ地を発見することができた。
長浜に着いて最初にこの場所を訪れた。
ちびとらが指を指しているのが手がかりとなった「北こく道碑」だ。
山田監督はシナハン、ロケハンの中でその土地の歴史や文化、伝統などをきちんと研究されて、何気ないシーンでもスクリーンの映像一つ一つに意味を付けている。
今回もその典型例の一つのロケ地発見だったと思う。
2015年
5月
09日
土
今回の旅は、2つのメインロケ地を回ってきた。
第47作の琵琶湖は、7年ぶりの再訪となった。前回は用事があり琵琶湖を訪れた合間だったため、ロケ地をゆっくりと回ることができなかった。そのため、ほとんど今回が初のロケ地回りであり、いくつかロケ地を新発見することができた。
また、第46作の志々島、高見島にも同じく7年ぶりに訪れた。今回は、寅友の彰さん、小手寅さんと3人の旅であった。
離島ということで、なかなか足を運ぶ方も少ないので、多数のロケ地を新発見することができた。
2015年
4月
20日
月
八栗寺参道は46作のエピローグに登場するが、ロケ地となったよもぎ餅のお店のおばさんはしっかりとロケ当時のことを覚えていて、いろいろと教えてくれたことを思い出す。
出来たての饅頭を頂きながらのお話はとても楽しかった。
すごくきれいで静かな場所にある。
時間を忘れてのんびりとロケ地の雰囲気を感じていた。
おばさん、元気にしているだろうか。
2014年
5月
09日
金
第22作のオープンニングで寅さんが夢から覚める寺(寺の縁側)。
これは謎のロケ地の一つだった。
博の父と旅先でばったり会った寅さん。2人は妙覚寺を訪れる。寅さんはタクシーの中で寝ていたが…。
その時に映る妙覚寺の山門がオープニングの寺の山門に酷似している。そのため、オープニングの寺は妙覚寺ではないかと思われていた。
ところでちびとらは、木曽路、そして妙覚寺には過去に2度、訪れている。
2012年の夏、今年(2014年)の4月である。
最初に訪れた際には、妙覚寺を寅さんと博が訪れる寺(ロケ地)として撮影させてもらった。
そして2度目の時には、オープニングの寺なのかどうか、検証するために訪れた。
寺の住職さんに取材(写真)したところ、その時まで氏もオープンニングは自分の寺だと思いこんでいたのだ。
だが妙覚寺には、寅さんが寝ていた縁側の奥にあるはずのお堂がないことを説明し、いろいろと聞いてみると、氏からも「この寺に(寅さんがひっくり返してお釣りを取ろうとした)賽銭箱はない」という証言も得た。
さすがに賽銭箱が置いていない寺に小道具で賽銭箱を持ち込むことはないだろうし、そもそもお堂がないことは決定的にオープニングの寺が妙覚寺ではないことを示している。
では、22作のオープンニングはどこなのか?
ついに今回、3度目となる木曽路へのロケ地の旅で、寅友、ロケ地仲間でも謎とされてきた寺を発見することができた!
全く同じような山門を持ち縁側もある立派な寺が木曽路にあったのだ。
追記
ロケ地の旅(第22作)のページに発見した寺について掲載しました。
2014年
4月
24日
木
2008年から始めたロケ地の旅もそこそこの数になったのでご紹介していこうと思います。
以前より寅さんファンからサイト制作をすすめられてきました。
昨年、講談社より「男はつらいよ 寅さんロケ地ガイド」が出版され、ロケ地を回られる方もいると思います。
これから紹介していくロケ地の中には、ガイドに掲載されていないロケ地、まだ誰も行ったことがないロケ地(※これを「初登頂」と寅友の彰氏は呼ぶ)も含まれます。
順番に紹介していきますので、時間はかかると思いますが、よろしくお願いします。
また、情報交換も大歓迎です。
詳しい情報をお知りになりたい方やご質問も「お問い合わせ」フォームよりお待ちしています。
ロケ地についての情報がありましたら、お気軽にお寄せいただければ幸いです。