「俺ね、途中で気が変わっちゃって、萩へ行くことにしたの」
列車の中で夢から覚めた寅さん。
車掌さんの切符拝見に乗り越しを申し出る。
寅さんが乗っていたのは山陰本線。
本編でも踏切の音がしているが、小串~湯玉間にある堂道踏切。田村製材所は左側のブッシュのあたりで空き地になっている。
山口県下関市豊浦町大字小串715
2022年4月訪問
【参考】堂道踏切を過ぎた瞬間に映る民家
本編車窓アングルとは逆からになるが、堂道踏切を過ぎた瞬間に民家が映る。
そちらを撮影したのがこちら。
建物の形状がロケ当時のまま。
このロケ地は寅友・寅福さんが発見された。
田村製材所跡地、山陰本線が渡る堂道踏切、そして踏切を渡った瞬間に映る民家を191号線から映したのがこちらの写真。
「車窓さん、女房いるのかね?」
「仲良くやってるかい?」
乗越料金は780円。1000円札を払う寅さん。
車窓に映る植木がきれいに並んでいる風景が気になり調べて行ってみた。
ここは丸山墓地の入口だった。
ここまで約45秒。長回しのワンカットを渥美さんとイッセー尾形さんが演技している。
山口県下関市豊浦町大字小串1381−4
2022年4月訪問
「ほんの気持ちだ。取っといてくれ」
乗越料金の釣銭220円をチップで車掌に渡そうとする寅さん。車掌は受取りを拒んでもめる。
山陰本線は萩方向に少し進んで、宇賀本郷~長門二見間を走っている。
壁島が浮かぶ海岸あたりの車窓。特徴のある岬の形から新発見した。
角度は異なるが実際の列車に乗れなかったので、191号線から入ったスポットで撮影。
山口県下関市豊浦町大字宇賀3721付近
2022年4月訪問
山陰本線が走るメインタイトルバック。
男はつらいよ
幸福の青い鳥
山陰本線は萩方向にまた進んで、阿川~長門粟野間。
本編に映る水面は阿川ほうせんぐり海浜公園ビーチ。
寅友・寅福さんの発見により訪問できた。
山口県下関市豊北町阿川92-3付近
2022年4月訪問
萩城址の石碑。
城の堀。
車窓、山陰本線のシーンの後は、寅さんが向かった萩のシーンへ。
萩城跡の入口、萩焼資料館の前で撮影。
山口県萩市堀内502−6
2017年5月訪問
堀と石垣。
萩城は、この2カットに映る指月山の山麓を利用して作られた城。
堀沿いに観光客の車が数台停まっていたので、本編アングルでの撮影から少しだけずらして撮影した。
祭が行われている。(祭は萩時代まつり)
萩城下で中級、下級武士が暮らしていた平安古(ひやこ)地区。
つきあたりは現在、かいまがり交流館になっている。
山口県萩市平安古町平安古西区162
2017年5月訪問
萩時代まつりの萩大名行列。
行列の中で歩く子ども。
左側の金網は新しくなっているが、本編ではここで祭りの見物客が見ていた。
指月山が良く見える場所。
山口県萩市平安古町171−1
2017年5月訪問
かごを担ぐ人。
祭のシーンの最初のカットと同じ道で、かいまがり交流館(写真右側)のある角。
山口県萩市平安古町平安古西区138−8
2017年5月訪問
大名行列が続く。
こちらは2カット目の子どもが出てきたシーンと同じ場所をヒキで撮影。
同じ場所で違うアングルで撮影したものが交互に入っている。
よく見ると2カット目に出てきた子どもも映っている。
ちびとらは見物客の白い帽子をかぶった子どものように立っている、
直角に屈折する大児玉横丁の鍵曲で、平安古の鍵曲(かいまがり)。
ここは初登場の場所。
祭の最初のカットをカメラ方向が逆になっている。
見通しがきかないようにして、敵の侵入を防ぐ藩政時代の防御方法。
祭のシーンが続く。
このロングショットは、かごのシーンのカメラ方向を逆にしている。
右側の木の塀や右奥の屋敷がロケ当時の雰囲気のまま。
大通りでの祭のシーン。
平安古地区からだいぶ離れた市役所近くの御許町交差点を映している。
右側の阿武旅館は入口に「阿武旅館」と書かれていた。
交通案内の表記もほとんど記載されている内容は変わっていない。
山口県萩市御許町52
2017年5月訪問
祭の人ごみ。
小さな石造りの橋。
萩城の外堀の新堀川にかかる平安橋。
山口県萩市平安古町402
2017年5月訪問
スポーツシューズのバイをする寅さん。
萩にやって来た寅さんが、ここでようやく登場する。
平安橋のたもとでバイをしている。
左側のポールのところは、ポンシュウがタコすいつきちゃんのバイをしている所。とうもろこしの屋台は空き地にあった。
平安橋を大名行列が渡る。
新堀川沿いで見物していた子どもたちがいた場所などロケ当時の雰囲気がそのまま。
GWに訪れたが、平安橋のあたりはとても静かだった。
売上を数える寅さん。
寅さんがバイを構えたあたりは草が生えている。
大名行列が練り歩く中、耳掃除をしている寅さん。
毛槍を投げ渡している行列を真似して耳かきをポンシュウと渡し合う寅さん。
松月堂パンの大きな看板のある建物の前を祭の行列が通る。
位置関係は写真左側が平安橋。寅さんがバイをしていたあたりも写真に映っている。
山口県を中心にパンの店舗を展開している松月堂パンの看板が出ていた建物は、現在ホワイト急便のクリーニング店になっている。
右側の建物はなくなり、駐車場になっていた。
祭の見物客が帰っていく。
ここは再び平安古地区。
平安古の鍵曲のすぐそばの子どもが行列で歩いていたシーンのロケ地。
そのシーンとは逆方向にカメラを向けている。
山口県萩市平安古町平安古西区138−1
2017年5月訪問
平安橋に腰かける寅さん。
テキヤ仲間が屋台を片付けている。
再び平安橋。
回りの家も多くがロケ当時のまま残っている。
法被を着た子どもたちが歩いていく。
右側の店が松月堂パンの看板があった坂倉しんみせ。今もこちら側には店名が書かれている。
郵便ポストもほぼ同じ場所にある。
※萩がロケ地となった「釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇」で、右側の坂倉しんみせから奥にある平安橋方向が映る。
宮沢りえさん演じる梢が、ドクター役の吉岡秀隆とばったり出会うシーン。
坂倉しんみせには野菜がいっぱい並んでいた。
新堀川沿いを歩いていく寅さんとポンシュウ。
向こう側に見えているのが橋本川。
新堀川が橋本川に合流し、橋本川は日本海の河口へと流れていく。
訪問時は夕方だったので、本編と比較的近い感じで撮影することができた。
山口県萩市平安古町平安古西区115付近
2017年5月訪問
「もしもし。お前、誰だ?」
柴又に電話した寅さん。受話器を取ったあけみに聞く。
忌宮神社。
5年ぶりに再訪したが、茶店は閉まっていて工事が行われていた。
山口県下関市長府宮の内町1-18
2016年7月訪問
旅先から柴又に電話する寅さん。
「おいおい稼ぎながらそっちへ向かうよ」
寅さんが電話をしたのは山口県下関市の忌宮(いみのみや)神社。
しかしこの後、寅さんは東京とは逆方向の九州へと旅を続けることになる。
郵便ポストはなく茶店も閉まっていた。
※本編より右側が少し切れています。
山口県下関市長府宮の内町1-18
2011年8月訪問
5年ぶりに再訪して本編アングルで再撮影した。
【参考】
ちなみに寅さんが電話している際に後ろに移っている郵便ポストは少し移動していたが、きちんと残っていた。
石塔と海を行く船。汽笛の音。
赤間神宮のシーンの前に映るインサートカットは、赤間神宮前の関門海峡に面した場所で撮影。
山口県下関市阿弥陀町4
2016年7月訪問
神社の鳥居と赤い門。
赤間神宮を関門海峡側から撮影。
壇ノ浦の戦いで幼くして亡くなった安徳天皇を祀る。
現在は木々が生い茂り、赤い水天門は見えづらくなっている。
「どお?おばあちゃん、お土産に」
鳩笛のバイをする寅さん。
赤間神宮。
ちびとらも寅さんの真似をして鳩笛を吹く格好をしてみた。
山口県下関市阿弥陀寺町4
2011年8月訪問
バイが芳しくなく背伸びをする寅さん。
赤間神宮の水天門。
ちびとらの背が短いため縦位置での写真撮影となった。
ポンシュウが最新式コンピューター占いのバイをしている。
ポンシュウがバイをしていたのは、ちびとらが立っているあたり。
奥の建物はだいぶ建て替わっている。
こちらは再訪時の写真。
山口県下関市阿弥陀町4
2016年7月訪問
階段の上でポンシュウに歩み寄る寅さん。
竜宮城のようなつくりの水天門。
平清盛の妻である二位尼が安徳天皇を抱えて入水した際に「海の底にも都はあります」と歌を詠んだといわれている。
この歌をもとに、さきの戦争で焼失した赤間神宮を再建・復元した。
「さあて、これからどこ行くか?」
「お前のおみくじ、ちょっとやってみるか」
ポンシュウは、直前まで「絶対当たるよ」と呼びこみをしていたが、「当たらない当たらない」と寅さんにいう。
本編では寅さんたちの奥に関門橋が映っているが、現在はビルが立ち並び見ることができない。
「九州へ行こうよ。筑豊の方へ」
コンピューター占いで南で素晴らしい出会いがあると出てポンシュウを誘う寅さん。
「石炭が出てた頃は良かったけどな~…」とポンシュウ。
関門海峡をのぞむ赤間神宮を現すカット。
「九州か~」
九州へ渡ることを決めた寅さん。
九州での出来事を期待させるシーン。
本編では寅さんの向こうには関門橋が映るが、
現在はビルで見えない。
しかも寅さんは関門橋で九州には行かないのだ。
下関から門司港へ寅さんが船で渡る間のカット。
関門海峡・関門橋。
このB班ロケは火の山公園の展望台。
山口県下関市藤ヶ谷
2011年8月訪問
連絡船が港に到着する。
寅さんは関門橋を渡ることなく、連絡船で九州は門司港にやって来たのだった。寅さんらしい旅である。
門司港はかなり整備され、ロケ当時と激変している。
福岡県北九州市門司区港町9-4付近
2016年7月訪問
キュウシュウと出くわす寅さん。
港の桟橋はここにつながっていたものと思われる。
ロケ当時からの物証は左側に映る春風海運の建物。木で見えないが、左に4軒目に春風海運の建物が現在も残っている。
【参考】
春風海運の建物。
文字もうっすらと残っている。
鉄橋を走る列車。
赤地沈下橋の前に移るインサートカットは、現在の平成筑豊鉄道伊田線の遠賀川に架かる鉄橋で、ロケ当時は伊田線だった。
このあと登場する赤地沈下橋のある筑豊本線勝野駅のそばで撮影。
福岡県鞍手郡小竹町赤地
2016年7月訪問
川の水面に映る橋。
遠賀川に架かる赤地沈下橋。
(※文字変換のミスで赤池と記載していましたが訂正しました。2021年10月7日)
5年ぶりに再訪したが、このロケ地は晴れた日に行くことをお勧めしたい。とても気持ちが良い場所なので、寅さんが歩いた風景の中で少しの時間でも過ごすことをお勧めしたい。
福岡県鞍手郡小竹町赤地
2016年7月訪問
寅さんが橋を渡っていると馬子を乗せた馬がやってきて逃げる。
遠賀川にかかる小竹町赤地の沈下橋。勝野駅の目の前にある。
ちびとらが寅さんの真似をしたが場所が違っているのはご愛嬌。
こちらは初訪問時の写真。
福岡県鞍手郡小竹町赤地
2011年8月訪問
寅さんは、門司港駅から鹿児島本線、筑豊本線と乗り継いで勝野駅で下車し、この沈下橋を渡ったのだろうか。
そして歩いて南下し飯塚をめざしたものと思われる。
福岡県鞍手郡小竹町赤地
2016年7月訪問
「坊や、飯塚行くのはどっちだ?」
子どもに道を聞く寅さん。
筑豊富士ともいわれる忠隈炭鉱のボタ山をバックに菰田の一角。
ボタ山を頼りに山の見え方で周辺を探索して新発見することができた。
寅さんは既に飯塚市にいるのに飯塚の方角を聞いたようだ。
子どもたちが遊んでいた空き地らしき場所は現在、温泉施設の駐車場となっている。
福岡県飯塚市菰田102-1付近
2011年8月訪問
路地から現れる寅さん。
飯塚への道を子どもたちに聞いてやってきたのは嘉穂劇場。
路地の向こう側は大きく変わった。
子どもたちが遊んでいた路地裏も駐車場になった。遠くには筑豊富士をのぞむ。
福岡県飯塚市飯塚5-5-23
2011年8月訪問
嘉穂劇場を見る後ろ姿の寅さん。
1931年(昭和6年)に開館した芝居小屋である嘉穂劇場は、ロケから17年後の2003年(平成15年)に大雨災害により1階内部を中心に使用不可能な状況に陥った。
翌年、復旧工事が行われた。
こちらは再訪時の写真。
福岡県飯塚市飯塚5-5-23
2016年7月訪問
「嘉穂劇場。懐かしいなあ」
嘉穂劇場を見てつぶやく寅さん。
実際には寅さんは一つ上の写真の位置、嘉穂劇場の駐車場入り口に立っていた。
右側の家は建て替わっている。
「おばさん、通りがかりの者だけど中ちょっと覗かせてくれるかな?」
小屋の前を掃除しているおばさんに声をかける寅さん。
寅さんは無料で見学したが、現在は見学料は300円。
小屋の中に入ってくる寅さん。
嘉穂劇場を訪れるのは5年ぶり。
前回は九州在住の寅友であるいちごさんに飯塚、伊田をご案内いただいた。
「おじさん、昔からここで働いてるのかね?」
「まだ炭鉱が盛んだった頃、俺もよくここへ来たもんだよ」
炭鉱景気に沸いた当時を思い出して話をする寅さん。
1950年代のことだろうから寅さんは20代の時の話をしていると思われる。
最盛期には飯塚には10万人以上の人口があり嘉穂劇場のほか、多数の映画館などの娯楽施設があったという。
嘉穂劇場で観たという勧進帳の話になり、小屋のおじさんに真似事をさせる寅さん。
昭和38年に嘉穂劇場で勧進帳を観たという寅さん。ただ、この頃はすでに筑豊の炭田も斜陽化していた時期なので、景気が良かった頃の話とは別の話だと思われる。
寅さんは、坂東鶴八郎のことを聞いたが、亡くなっていることを知る。
炭鉱住宅。奥にボタ山。
宮若市にある旧貝島大之浦炭鉱住宅。
曲がり角や道路奥のカーブミラーなどの見え方が本編と一致する。
5年前に筑豊に来た際には、画像を見せて聞き歩いたが発見できなかった。
福岡県宮若市鶴田
2016年7月訪問
炭坑節のメロディーとともに炭鉱住宅のインサートカットが続く。
門司港から九州へやって来た寅さんが筑豊に入って最初にたどり着いたのは赤池沈下橋だった。この炭鉱住宅は、飯塚から離れて赤地沈下橋に近い場所にあった。
炭鉱住宅へやってくる寅さん。
ちびとらの左側の道はロケ当時はなかったようだ。
左側の家の並びは面影が残る。
亡くなった坂東鶴八郎の家を訪ねる寅さん。
四国(ロケは三浦半島)で宿まで大空小百合ちゃんに送ってもらったり、甲州や長崎の旅先でばったり会ったり、別所温泉で大宴会して無銭飲食宿泊で警察にごやっかいになったりした思い出のある坂東一座。
炭鉱の斜陽化とともに寂れてしまった炭鉱住宅だが、なんともいえないシーンだ。
坂東鶴八郎の家の場所を聞く寅さん。
聞いた目の前が坂東鶴八郎の家であった。
そして、ロケ当時の雰囲気そのままに家は現存していた。外装は補修されているものの同じ形で残っていたのには感動だった。
道を聞いた畑仕事をしていた女性がいた場所は現在家が建っている。
坂東鶴八郎の家を見る寅さんの後ろ姿。
緑に覆われるようになったボタ山は手前に木があって見えなくなっている。
この後、寅さんはオートバイの音を聞く。
オートバイが炭鉱住宅に帰ってくる。
近所の人に挨拶をしている。
シリーズを見てきた者には運転しているのは誰なのか分かっている。
寅さんを「先生」と呼んだあの大空小百合ちゃんだ。
オートバイが角を曲がってくる。
寅さんが家を尋ねた人が畑仕事をしている。
寅さんが炭鉱住宅にやってきたカットで映るのが画面左奥の建物がある場所。
この角付近でほとんどの撮影が行われている。
オートバイが家の横にいた寅さんの脇を通り過ぎて敷地に入っていく。
この時点で大空小百合ちゃんは寅さんに気づくはずだ。あんな格好をした人はまず滅多にいないし、覚えているはずだし覚えていてほしい。
しかし本編では、「何か用事?」とくる。
「失礼だけど座長さんの娘さんかい?」
「ということは、もしかして大空小百合っていう芸名で可愛い声で歌歌ってたんじゃないか?」
寅さんはしっかり、この人は大空小百合ちゃんだとピンときて話をしているが、小百合ちゃんの方はあまりにも反応が普通ではない。
シリーズを見続けてきた者向けの脚本ではない気がする。
「それじゃ俺のこと覚えてないかな?お前のおとっつあんとよくね酒なんかを飲んだことがあるんだよ」
信州・上田で大宴会をした話(第18作)をする寅さん。
それ以外でも何度も会っているのだから、大空小百合ちゃんの当時の性格や寅さんへの親しみからしてもどうもこの反応はシリーズを見続けてきた者にとっては残念に映る。
奥の家はほぼそのままに残っている。
寅さんが宿泊している旅館かどや。
美保が紹介したのは、嘉穂劇場の隣にある旅館だった。
かどやは現在、取り壊されており、右側の空き地にあった。
左側には本編にも映る若鳥がある。
福岡県飯塚市飯塚2-24
2016年7月訪問
美保がオートバイでやって来る田川伊田駅。
駅舎は建て替わっている。
福岡県田川市伊田
2016年7月訪問
田川伊田駅の2番線ホームで列車を待つ寅さん。
美保が階段を上がってホームにやって来る。
2番線ホームへの階段は写真の通り、閉鎖されていたため、本編アングルでの撮影は困難だった。