夢のシーンの冒頭。
薩摩湖畔。
寅さんから夢から覚める薩摩湖がここでも登場している。
鹿児島県日置市吹上町今田940付近
2018年7月訪問
【参考】松屋食堂
残念ながら松屋食堂は閉店してしまっているが、奇跡的に建物は残っている。
良く見ていただけると分かるが、お食事の看板もある。
この廃屋の中で寅さんが怪獣のお面を被った男の子に驚いていたのを思い、しばらく薩摩湖畔・ロケ地にたたずんでいた。
松屋食堂から出てきてあくび、背伸びをする寅さん。
薩摩湖畔にあった松屋食堂は閉店して、入口も閉じられていた。
ただ、塀や屋根部分などがロケ当時のまま残っている。
イケダパンの大きな看板が窓に反射して映っている。イケダパンは鹿児島県に本社があり、南九州エリアで営業を展開している。
ポンシュウが「おい、寅!お前乗るのか乗らねえのかよ」と車から寅さんに声をかける。
高羽アングルピンポイントは松屋食堂の店内から。中に入って撮影することはできなかったので、ヒキきれていない。
ポンシュウが乗っていた車が走っていた道は現在は草も生えて車両が走るのは困難な道となっている。
ポンシュウと運転役のテキヤ仲間がトヨタ・ハイエースに乗って、寅さんを待っている。
上にも書いたが、道は草や木が生い茂っているので、本編のように車が走るのは困難なのが分かっていただけると思う。
ハイエースワゴンに乗りこむ寅さん。
松屋食堂のおばさんが寅さんに忘れ物のお守りを渡す。
松屋食堂の向かって右側が高羽アングルピンポイントだが、見ていただければ分かるようにブッシュになっている。そのため、かなりヒキのサイズで撮影した。
本編アングルとは変わるが、松屋食堂をアップで撮影したのがこちらの写真。
イケダパンの看板がかかっていた骨組みが残っている。
柴又でのひと騒動の後、上野に飲みに来てお金がないのでさくらに届けてほしいと電話する寅さん。店で「九州の」と呼んだ課長と出会う。
寅さんの勘定を支払った課長が退店する。
焼鳥まるきは閉店していて現在、極みやになっている。
看板が白くなっていて分かりづらいが、2軒奥の美生堂薬局は今も営業している。
東京都台東区上野6-12−14
2022年1月訪問
早朝の牛久。
富永課長が家から自転車で出てくる。
右側が谷田川で、見えている橋が茎崎橋。
富永課長の家は入口が変わったが、現存している。
お住まいになっている方がいるので、訪問時は配慮が必要。少しだけヒキ、遠目から撮影した。
茨城県つくば市森の里
2016年4月訪問
富永課長が谷田川にかかる橋を自転車で出勤する。
前のカットで奥に映っていた茎崎橋。
富永課長の奥様は前夜、とらやのおばちゃんに電話した時に「牛久沼の富永」と言っているが龍ヶ崎市にある牛久沼からは少し離れている。
富永課長は駅とは反対方向に向かっている…。
茨城県つくば市森の里55−4付近
2016年4月訪問
カメラがパンして富永課長が住んでいる森の里のエリアが映る。
良く見るとロケ当時のままの家もある。
また、富永課長の家も映っている。
ふじ子と2人きりと知って家を飛び出す寅さん。
歩いて茎崎橋に向かう。
ふじ子が寅さんの忘れ物をもって追いかけてくる。
「どうぞ寅と呼んでやってください」
忘れ物を受け取り、ふじ子にお礼をいう寅さん。
ふじ子は、昨晩、富永課長が「寅さん、寅さん」と呼んでいたという。
「そういう面倒なものは持ち合わせちゃおりません」
ふじ子から「奥さんによろしく」と言われて、答えた後、歩き始める寅さん。
田園地帯を2両編成の列車が走る。
筑波山麓を走る筑波鉄道筑波線。
土浦駅と岩瀬駅を結んでいたが、映画公開から3年後の1987年4月1日に廃線となった。
大体このあたりだと思われるが、少しずれているかもしれない。
廃線跡はサイクリングロードとなっている。写真で木が植えられている場所がロード。
赤い鳥居。
筑波山神社の鳥居のロングショット。
鳥居の右側に映っているのは、つくばグランドホテル。
木が並んでいるところが筑波鉄道の廃線跡。
「国の始まりが大和の国なら…」
神社の参道階段が祭りで賑わっている。
寅さんのバイの声を聞こえてくる。
筑波山神社の随神門。
随神門の左側に見えているのが筑波山の男体山。
茨城県つくば市筑波731
2016年4月訪問
「島の始まりが淡路島…」
俯瞰で石の鳥居からズームバック。
筑波山神社鳥居、神橋からズームバックしている。
随神門の参道階段から撮影。
木々が成長していて高羽アングルピンポイントからだと鳥居と神橋が見えないので、少しずらして撮影した。
「英語の始まりがA、B、C…」
バイをしている寅さん。
その横でガマの油のバイをしている人の声が大きく響く。
「さあて、こちらもお立ち合いだ」
ガマの油に負けずに健康サンダルのバイをしようとする寅さん。
森の里行きのバスが茎崎橋を渡って走ってくる。
森の里交差点。
茨城県つくば市森の里59−14付近
2016年4月訪問
バスが通過する。
川の土手を自転車を押した人が歩いている。
道路脇に設置されていた広告看板はなくなっている。
自転車を押した人は、ちびとらが立っているあたりを歩いていた。
森ノ里団地入口バス停にバスが到着する。
買い物袋をさげたふじ子がバスから降りてくる。
森の里歯科医院の前。
バス停は無くなっていた。
通りの突き当り付近は塗り替えられている家もあるがロケ当時のまま。
茨城県つくば市森の里55−4
2016年4月訪問
ふじ子が歩いていく。
富永家へは寅さんが歩いていった土手沿いの道からのルートだけでなく、こちらの裏側からも行くことができる。
右側の空き地だった土地には家が建っている。
左側のうなぎののぼり旗が立っていた場所は現在も駐車場。
富永課長が砂浜でたたずんでいる。
丸木浜。
訪問したのは海水浴シーズンだったこともあり、海水浴客がそれなりにいた。
鹿児島県南さつま市坊津町久志1276
2018年7月訪問
寅さんとふじ子を乗せた飛行機が到着する。
鹿児島空港。
鹿児島県霧島市溝辺町麓822
2018年5月訪問
桜島と駅ターミナル。
鹿児島駅前。
本編アングルは俯瞰だが、地上から撮影した。
鹿児島県鹿児島市浜町2
2018年7月訪問
「似た人だな、と思ったけど、やっぱり違うな」
鹿児島駅の構内をのぞきこんでいる寅さん。
ふじ子に「どうしたの?」と聞かれて答える。
JR九州バスのバス乗り場の前。
路面電車に乗りこむ寅さんとふじ子。
鹿児島市電乗り場。
鹿児島市電の車窓。
ふじ子が「鹿児島の街うろうろしても仕方ないから、ともかく実家の方行ってみるわ」という。
運転手越しに映る建物は、南日本銀行本店。
鹿児島県鹿児島市山下町1−1
2018年7月訪問
「あごがこう突き出ててさ、一目見たら忘れられない顔の男なんだけどさ。見たことねえか?」
市電の車内で学生たちに聞く寅さん。
このシーンの車窓にはゼブラボールペンの看板が映る。
現在もゼブラの看板を出す水族館口の停留所前にある文英堂。
寅さんとふじ子は南日本銀行から戻ってしまっている…。
鹿児島県鹿児島市小川町1−20
2018年7月訪問
列車が走る。
開聞岳をバックに走る指宿枕崎線。
西大山~大山間のカーブで小鶴踏切付近で撮影した。右・上側に線路がある。
本編には鹿児島方面に向かう車両が映っているので、鹿児島市内から来た寅さんとふじ子は逆方向に向かっている…。
鹿児島県指宿市山川大山
2018年7月訪問
枕崎駅から出てくる寅さんとふじ子。
日本最南端の終着・始発駅である枕崎駅は、ロケ当時から少し南側に移動している。
ここは現在の駅から少し北側にいった所で、かつて駅舎があったあたり。
ちびとらが立つ右側の地面にロータリーの跡のようなものが見えるが、本編に映る車両の路肩だろうか。
鹿児島県枕崎市東本町200付近
2018年7月訪問
【参考】現・枕崎駅
寅さんとふじ子を乗せたタクシーの車窓。
指宿枕崎線の石垣駅付近を走っている。
本編にも映る2つの高架。手前は指宿枕崎線、奥は226号線。
ガードレールの形状や高架下の小屋などロケ当時のままなのがうれしい。
ここを走るなら終点の枕崎駅まで行かなくても鹿児島よりのだいぶ手前だったのだが…。
鹿児島県南九州市頴娃町別府
2018年7月訪問
タクシーが走る俯瞰。
前のカットの高架・226号線からの撮影で石垣橋がカメラポイント。
右側に映っているのが石垣川。
タクシーは石垣の集落に向かっている。
鹿児島県南九州市頴娃町別府
2018年7月訪問
カメラがパンアップする。
石垣の集落の俯瞰目。
石垣川や川にかかる橋など、この後出てくる風景が見える。
道路沿いに立つ白い大きめの建物がロケ当時のままあるので目印になる。
鹿児島県南九州市頴娃町別府
2018年7月訪問
石垣川と橋。
投げ網をする人。
俯瞰で映っていた橋・成橋。
橋はロケ当時から架け変わっており、高さも上がったようだ。
本編では水面がキラキラと光って美しいカット。
鹿児島県南九州市頴娃町別府2713付近
2018年7月訪問
石垣川と船。川沿いに石垣の上に立つ家々。
前のカットの橋より南側・河口近くにある灘見橋のたもとにある光栄寺の脇から撮影。
川の護岸工事が行われ土手が高くなっているのが分かる。川のカーブ左側の林は同じ。
本編にも少しだけ映る右側の白い建物は衣料品の店・はらだ。
鹿児島県南九州市頴娃町別府2908ー1付近
2018年7月訪問
石垣集落の路地。
向こうで歩いているおばあさん。
川畑呉服店の前の路地からの撮影。
左側の家や石塀、向こうの路地もロケ当時のまま。
寅さんとふじ子を乗せたタクシーが走ってきた道を河口付近の灘見橋に向かう途中に川畑呉服店やはらだがあり、集落の中心地。
鹿児島県南九州市頴娃町別府365付近
2018年7月訪問
路地を歩く寅さんとふじ子。
石垣のメインストリートを1本入ったところだが、大きく激変している。
右側の建物は全てなくなっており、正面奥の洋館風の建物も建て替わっている。
唯一、右奥の松の木だけが面影を残している。
現地でこの場所であることは証言を得た。
鹿児島県南九州市頴娃町別府363付近
2018年7月訪問
「この家かね?」
ふじ子に聞く寅さん。
富永課長の実家に向かった寅さんとふじ子。
ふじ子は結婚式の時に来た以来だという。
「俺、やっぱりここでちょっと待ってるよ」
富永課長の実家の前で、訪ねることを躊躇う寅さん。
富永課長の実家は現在、空き地になっている。
石垣川と船のカットのカメラピンポイント位置の光栄寺が見える。
【参考】衣料百貨・はらだのご主人の証言
本編にも建物が映る衣料百貨・はらださんを訪ね、ロケのお話を伺った。
富永課長の実家の場所は覚えていらっしゃって、わざわざお店から出てきてくれ、教えていただいた。
空き地になっていたが、久美美容室との位置関係で推察していたものと、証言が一致し、ほぼ位置を確定することができた。
はらださん、ありがとうございました。
「奥さんとのこと、いろいろゴタゴタ聞かれるのうっとうしくて」
ふじ子が会社の人ってことにしておこうと提案する。
家に入ろうとするこの時、チラッと映る白い家が左手に見える家(久美美容室)だと思われる。ここから、前のカットまでの位置関係も推察できた。その左隣の白い大きめの建物が衣料百貨の店・はらだ。
しかし、寅さんの恰好からして丸の内の証券会社の富永課長の同僚とは無理があるが~。
富永課長の実家に泊まった「部長」の寅さんとふじ子。
翌朝、タクシーが橋を渡る。
石垣川と船のカットのカメラピンポイント位置である灘見橋。
石垣集落側から河口方向を映す。
訪問直前、寅友・寅福さんの発見だった。
鹿児島県南九州市頴娃町別府334−4付近
2018年7月訪問
【参考】灘見橋の橋に使用されていた柱
灘見橋の脇に保存されている。
寅さんとふじ子を乗せたタクシーが走ったのはこの柱が使われていた昭和7年に竣工された橋で、現在は架け変わっている。
タクシーであくびをする寅さん。車窓。
立神製作所、ガソリンスタンドが映る。
226号線。枕崎市の立神地区。
立神製作所はなくなっているが、ガソリンスタンドはエネオスとして営業している。
寅さんとふじ子は枕崎駅に戻り、さらに西側を走っている。
鹿児島県枕崎市中央町375
2018年7月訪問
「お前、同郷人として胸が痛まないか?」
「だったら協力しろよ」
立派な門構えの屋敷の前でタクシーの運転手に富永課長の話をする寅さん。
加世田麓の武家屋敷群にある邸。
一帯は、イヌマキと石垣、用水路を含めて保存されている。
南さつま市加世田武田18258
2018年7月訪問
「料金をちょっと負けろって言ってるんだよ」
タクシーの運転手が「協力というと?」と聞くと料金を値切る寅さん。
門とは逆方向を映しているが、電柱やミラーがほぼ同じ位置にある。
「気持ち。気持ち。ちょっと」
指を2つ立てて値切る寅さん。
右側の邸がロケ当時の雰囲気のまま。
寅さんが交渉しているタクシー会社は鹿児島市に本社がある南映タクシー。
細い道路なので、本編のタクシーのように駐車することはできない。
ふじ子が屋敷の人にお礼を言って門から出てくる。
「何か分かりましたか?」
屋敷から出てきたふじ子に聞く寅さん。
電話で聞いた話以上のことは分からなかった。
タクシーが富永課長が懐かしがっていたという丸木浜に向かう。
丸木浜をのぞむ高台。
226号線の丸木浜入口から入っていくとこのカーブがある。
鹿児島県南さつま市坊津町久志
2018年7月訪問
丸木浜の俯瞰。
タクシーの運転手が車を停めて「あれが丸木浜です。よかとこでしょうが」といって景色を寅さんとふじ子に見せる。
左側にある大きな建物は、マルハニチロ養殖技術開発センター。
ロケ当時には建っていなかった。
「いいとこだね」
丸木浜の砂浜でふじ子が海を見ている所へ寅さんが歩み寄る。
富永課長がたたずんでいた丸木浜が2回目の登場。
「こらあいいや」
「昼飯にしましょう」
ふじ子の隣で寅さんが云う。
テントが並んでいるように海水浴客がけっこういた。
「おい、もう支度できたか」
タクシーの運転手に指示をする寅さん。
海の家の向こう側が丸木浜の駐車場になっている。
ふじ子が海岸から歩いている。
「こんな所で食べられるの?」とびっくりしている。
海水浴客がけっこういる中で、こちらは服を着ているので、なかなか落ち着いて撮影というわけにはいかず…。
バーベキューをする寅さんとふじ子。
右側のテントのあたりがバーベキューをした場所あたりだろう。
少しずらして撮影した。
砂浜に咲く花と海。
民宿うなぎ荘の看板の前をタクシーが走る。
鰻池の湖畔にある鰻温泉の一角。
看板があったのは、ちびとらが立っている白い建物のところだが、ロケ当時の木造の建物から建て替わっている。
鹿児島県指宿市山川成川6518付近
2018年7月訪問
タクシーが四つ角を右に曲がって停車する。
左側の大きな屋根の家や四つ角の左右の家、右側の奥に建つ白い2階建ての家などロケ当時のまま残っている。
鰻池は木の成長で見えづらくなっている。
タクシーを降りる寅さんとふじ子。
うなぎ荘の看板はここにあった。
正面の道を進むと区営温泉や温泉宿がある。
左側奥の店舗はドリンクケースが積んであって店舗の面影があるが閉まっていた。
ふじ子が「中学生の時、病気してこの温泉で療養したことがあるんですって」と寅さんに説明する。
「あすこだけはちっとも変わらないって…」と富永課長が言っていたそうだが、訪問してみると本当にその通りだった。
ふじ子のバックに映る右側の家もロケ当時のまま。
「おじさん、おじさん。欠伸なんかしてねえで、どこに旅館あるか聞いてこいよ」
首をほぐしている運転手に指示する寅さん。
塀はロケ当時のまま残っているが、家は取り壊されている。
丸木浜からは車で約1時間。ただ朝、石垣集落を出てから運転を続けているので運転手も疲れている。値切られているのに偉い。
ふじ子が「ここなのね。鰻温泉って」と呟く。
左側手前の温泉の煙は出ていなかった。
白波の看板がある2階建ての建物は現在、2階部分に温泉マークが入っていた。まつまえという温泉宿。